良い編集者があまり見当たらないワケ
つまらない、ファンブックみたいだ、無料のネットでも補えるという風にサッカー専門誌を批判する声が聞こえて来ます。でも実際は、そんな時期も過ぎ去ってしまって、「大体こんなモンかな」という“大人の態度”のほうが主流なのでは。
ルーティーンワークが続くうちに麻痺してくるんです。それでまあ、「編集長3年説」みたいなことが昔はいわれたんだけど、近頃は不祥事でもやらかさない限りは、長くやる場合が多いんじゃないですか。「俺の代になったら、あの連載やめて、代わりにあの人起用したり、和して同ぜずのロング・インタビューもやって…」──みたいな“誌面刷新計画”が編集者稼業の醍醐味だったんですけどね。
時代の先を読む勘の鋭い名物編集者があまり見当たらないのは、最小コストで最大利益を追求しなければいけないデフレ不況のせいだけではないと思います。サッカー界でひと頃盛んにいわれた「個」の力が強くないからです。小手先の工夫をいくら重ねても、「個」の力が弱ければ多彩な試みもむなしく終わるだけです。
ですから、お題をいただいた「メディアの堕落」うんぬんというよりは、イナーシア(inertia)=惰性による編集感覚が問題なんじゃないでしょうか。堕落というのは水準以下の状態のことをいうわけでしょう。発売日も律儀に守っているし、水準はいってるんです。ただ哀しいくらいに平均点止まり。専門誌を取り巻く状況からして「ウルグアイ代表を6-0で爆砕!」なんて喜ばしいことにはならなかったわけですしね。で、『サッカーマガジン』の第一特集が「玉砕ジャパンに告ぐ」(8月20日発売号)。玉砕したら普通は誰もいなくなっちゃってるんですけどね(笑)。
勝つことと売り上げの相関ということでいうと、日本代表が70年代、80年代に一度ずつでもオリンピックかワールドカップに出られたら、終わらずに済んだ専門誌があるんじゃないかな。海外情報に注力した『イレブン』がそれにあたります。書庫にほぼ全冊仕舞ってありますけど、なんだか遺骨収集所みたいでね(笑)。
この春、Jリーグの20周年ということで革命老幹部の自画自賛が活発化しました。「だけど、その前の20数年間のテイタラクの責任を取っただけです」という風な謙虚さも『イレブン』の元読者としては求めたくなる。
「末期の眼」(c川端康成)とまではいいませんけど、「専門誌編集の極意って何?」と問い続けることが大切です。まず第一に執筆者や撮影者の出入りが不活発過ぎるんじゃないかな。デビューしたい人たちがそこを突破できそうにない場合は、自分たちで始めるしかないんです。というか、気がついたら始めていたというのが、一時代前の文学同人誌や各種音楽雑誌だったんじゃないかな。青森でサッカー専門誌を始めた人たちがいますよね(編注:『AOMORI GOAL』)。タウン・サッカー誌的な胎動はあるんです。
新しい才能を発掘して開花させる媒介項の役割も編集者稼業の醍醐味の一つです。ページの間借り人が、単行本にあたる一軒家や別荘建てるまでになるのを見届けるのは良いものですよ。恩知らずや育ち損ないは出るにしても、たいていの場合は感謝してくれます。