「サッカーが苦しい…」
AはJクラブのジュニアユースで活躍し、卒業後は全国でも屈指の強豪校へ進み3年間寮生活を送った。
卒業後は、Jリーガーになることが決まりかけていたという。だが高校の部活を経て、彼はサッカーが怖くなってしまっていた。心身ともにいじめ抜かれ、ボールを見ると震えてしまう。
「やっぱりサッカーは、もういいや…」
そう言ってスパイクを置いた。
中学を卒業する時点で、Aにはいくつかの選択肢があった。本人が望めば、ユースに進むこともできたが、当時はクラブの組織が混乱していた。また地元の高校に進む選択もあり、むしろ両親はそれを望んでいた。だがAは早く親元を離れて自立したいと考えていた。結局両親は本人の強い気持ちを尊重する形で、実家から遠く離れた強豪校に送り出したのだった。
入学を決める前に、父は監督と面談をしている。実は監督の悪い噂も多少は耳にしていた。しかし実際に会った監督は、非常に物腰も柔らかく、懐の深さも感じた。
「私も昔は殴るのが普通だと思っていました。でも今はダメですよね」
父は、この人ならしっかりと話もできるし、息子を任せられると思った。
1年生の時は、順風満帆だった。早々とスタメンで起用され、父がAに電話をすれば、元気な声が返って来た。
ところが1年生の終わり頃から、少しずつ態度が変わり、口数が減った。父が異変に気づいたのは、2年に進級してからだった。メールで何度か問いただしてみると、ごく短い返信が届いた。
「サッカーが苦しい…」
しばらくすると「サッカー」は「生きること」という言葉に置き換えられるようになった。