クライフが死去。トータル・フットボールで世界に新風
亡くなったヨハン・クライフ氏【写真:Getty Images】
起こった時期:3月24日
「ある意味では、私はおそらく不滅だと思う」と語っていた男が病に打ち勝てず力尽きた。
長らく肺がんと闘っていたヨハン・クライフ氏の死去は世界中に衝撃をもたらした。空を飛ぶような華麗なプレーを見せることから“フライング・ダッチマン”の愛称がつき、現代サッカーの原型となるトータルフットボールの基礎を作った偉大な選手だった。
また同時に偉大な指導者でもあった。現役時代にプレーしたアヤックスやバルセロナを指揮し、現代につながるクラブのアイデンティティを確立したことでも知られる。タイトルなどの目に見える結果だけでなく、育成のメソッドや組織の文化、サッカーのスタイルまであらゆる分野にいまでもクライフ氏の影響が色濃く残っている。
クライフ氏は選手としてアヤックスやバルセロナなど5つクラブに所属し、通算521試合出場293得点という記録を残している。オランダ代表では48試合出場33得点という成績だった。
選手として臨んだ1974年の西ドイツW杯決勝、西ドイツ対オランダの激闘は今もサッカー史に残る名勝負として語り継がれている。アヤックスでは18個のタイトル獲得に貢献した。監督としては1992年にバルセロナを初のチャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)制覇に導き、リーグ優勝は4度成し遂げた。