フリースタイルとの出会いが自分のサッカー人生を変える
――まず、徳田選手の幼少期の話を聞かせて下さい。フリースタイルに出会う前は、普通のサッカー少年だったのでしょうか。
小学校1年生でサッカーを始めました。当時は、ただドリブルが好きで、自分から積極的にボールを持つような子どもだったと思います。兄はチームのキャプテンをやるような上手な選手だったのですが、僕は体が細くて試合で活躍するようなタイプではありませんでした。僕は、みんなでやって、勝ったら楽しい。そういう単純な喜びを感じていました。
もちろん、サッカー選手になれたらいいなという気持ちはありましたけど、実力を考えたら無理だろうなと思っていました。だから、サッカーで人生をどうしようということは考えていなくて、サッカーをずっと楽しめたらいいなというぐらいの気持ちでした。中学でもサッカーは続けましたが、深く考えて選んだわけではなく、それが当たり前の流れだったという感じです。
――フリースタイルという競技を知ったのは、中学1年生の冬だったということですが、きっかけは?
サッカーの本を買おうと思って本屋さんへ行きました。ロナウジーニョ(アトレチコ・ミネイロ)のドリブルやフェイントを解説している本とか、ドリブルのコツを紹介している本を買おうと思っていたのですが、同じコーナーにフリースタイルの技を紹介している本がありました。紹介されている技の数は少なかったのですが、連続写真が載っていて、DVDが付いていました。
目をひいたのは、東京や横浜のストリートで技を見せているイメージ映像でした。それを見て、かっこいい! と、思わず買ってしまったのがきっかけですね(笑)。直感的に、この本は買わなきゃダメだと思いました。
――その本を見て、少しずつ技を磨いたのでしょうか。
そうです。でも、僕は当時、リフティングが10~20回くらいしかできなかったので、技は見ているだけで、まずは単純なリフティングの練習をしました。100回くらいはできないといけないのだろうなと思って必死で練習をして150回くらいできるようになってから、技の練習を始めました。
リフティングの回数を伸ばすのは、1カ月くらいでできたと思います。それまでは結構高く蹴り上げていたのですが、フリースタイルで使うような小さく蹴るリフティングに変えてみました。その方が回数を重ねるには簡単だったので、どんどん上達していきました。
前日に50回まで蹴れたら、次の日は60回できるまでは帰らないとか、自分でルールを決めて練習していました。日に日に回数が増えて行って「あっ、100回できた」というような感触でした。すごく楽しかったですね。
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一人のサッカー少年から世界チャンピオンへのぼり詰めるまで フリースタイル・フットボーラー徳田耕太郎選手インタビュー【後編】