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PR記事 8年前

ユーベとフィオレンティーナの因縁は1928年から続く。ヴィオラの知られざる歴史

イタリアで絶大な人気を誇るリアルサッカーゲーム「ファンタカルチョ」。その日本版を手掛けるダビデ・ウッケッドゥ氏がセリエAを解説する。(文:ダビデ・ウッケッドゥ)

シリーズ:ファンタカルチョ text by ダビデ・ウッケッドゥ photo by Getty Images

1990年代に黄金時代を築いたフィオレンティーナ

ガブリエル・バティストゥータとルイ・コスタ
ガブリエル・バティストゥータ(左)とマヌエル・ルイ・コスタ(右)【写真:Getty Images】

 こんにちは、ファンタカルチョ.jpです。

 代表戦後の休みを経て、セリエA第8節がありました。皆さんのファンタカルチョ・チームの結果はいかがでしたか? ファンタカルチョをご存知でない方は是非サイトにアクセスしてみてください。)

 前回に続き、今回もフィオレンティーナの歴史に関してお話したいと思います。

 昔(1926年~)、赤と白がチームカラーだったフィオレンティーナですが、当時の会長は31歳の若手の役員ルイージ・リドルフィ(Luigi Ridolfi)でした。スタジアムはフィレンツェのベッリーニ通り通り(Via Bellini)にあるヴェロードロモ・リベルタス(Velodromo Libertas)でした。

 最初の数年はあまり良い成績を残すことができませんでした。なかでも、その象徴的な試合は、1928/1929年シーズンのユベントス対フィオレンティーナの試合でした。結果は0-11と惨敗でした。1930/1931シーズンから調子があがり、完璧なDF陣の活躍もあり、セリエAに昇格しました。

 翌シーズンからはスタジアムも変わり、ユニフォームはが現在のヴィオーラ(紫)になりました。そして、フィオレンティーナの初めての応援歌のカンツォーネ・ヴィオーラ(Canzone Viola)が作られました。

 第一次世界大戦中の大変な時期を除き、フィオレンティーナはセリエAの中でも存在感のあるチームです。

 おそらく皆さんが一番よく知っているフィオレンティーナは1990年代のチェッキ・ゴーリ(Cecchi Gori)氏が会長だった頃ではないでしょうか。バティストゥータやルイ・コスタなど、世界のトップ選手がいた時代です。しかし、2001/2002年にはゴーリ会長の失態(選手に給料払われなかった。また、隠されていた借金などあった)が表面化し、フィオレンティーナが倒産しました。

 次の年には、現体制の新生フィオレンティーナが誕生しました。セリエC2(現在のレーガ・プロ)からの再スタートでした。

(文:ダビデ・ウッケッドゥ)

【了】

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