取材をほとんど受けないルイス・エンリケのインタビューがなぜ掲載されるのか?
■顔を合わせて会う意味
ぼくたちの仕事は取材をして原稿を書くという、ごく単純なものだ。ただ、愚直にやるほど割に合わないこともある。
昨年6月、元日本代表監督のジーコがFIFA会長選挙に立候補した。直後、『フットボール批評』から彼にインタビューをできないかという打診をもらった。〆切りと取材経費の都合で、メール、もしくは電話で話を聞いて欲しいという。
当初、ぼくは断るつもりだった。
数年前、『Number』誌から同じように、電話でジーコへ日本代表について聞いて欲しいと頼まれたことがある。ぼくは取材では際どい質問をぶつける。誤解が生じないように、必ず顔を合わせて尋ねるようにしていた。ブラジルまでの取材経費と時間をもらえるのならば引き受けると返事すると、受話器の向こうの編集部員は明らかに困った声になった。彼らはもっと安易な形での取材を考えていたのだろう。
ただし、今回は少々事情が違う。
これまでサッカー政治と一線を置いてきたジーコがわざわざ会長選挙に出馬するのだ。ぼくも彼に立候補の真意を質したい気持ちがあった。そこでメールで彼に質問を送ることにした。質問はジーコが答えやすいように、なるべくYESとNOで返せるものにした。律儀なジーコは、すぐに返事を送ってきた。ただし、こう付け加えてあった。〈本来ならばこういった話は会って話をしたほうがいいね〉
彼の言う通りである――。
ジーコとぼくは95年以来の付き合いだ。彼が代表監督を務めていたときにも、ぼくは定期的に話を聞いていた。ぼくの顔を見た彼は「もう聞くことはないだろう」とわざとしかめ面を作って、冗談を飛ばしたこともある。
2006年ワールドカップの直前、こう約束した。「代表監督である間は、色々と気を遣って話せないことがある。ワールドカップが終わったら、あなたがどこで仕事をしていようが会いに行く」
大会終了後、ジーコはトルコのフェネルバフチェというクラブの監督に就任、ぼくはイスタンブールに向かった。そこでジーコは「ワールドカップの日本代表には腐った蜜柑がいたんだ」と明かした。
ジーコは日本代表に限らず、自分のチームの選手を貶すことはほとんどない。その彼の発言だったため、大きな話題となった。ただし、ジーコは他の取材で「腐った蜜柑」について話していない。約束を守ってイスタンブールに来たぼくに対する彼なりの報い方だったろう。
だからこそ、ぼくはメール“取材”後の昨年10月、インドのゴアまでジーコに話を聞きに行った(この取材は『アジアフットボール批評issue02』に掲載されている)。
ジーコに限らず、被取材者に対して適度な距離を保ちつつ、誠意を持って対応する。ぼくはそれを当然のことと考えていた。
しかし、そうでない人たちもいるようだ――。
■ほとんど取材を受けないルイス・エンリケ
最初にひっかかりを感じたのは、書店でその雑誌の表紙を見たときだったと記憶している。雑誌を開くと、FCバルセロナの監督、ルイス・エンリケへの「Jorge Luis Ramirez」という記者によるインタビュー記事が掲載されていた。
こんな書き出しだ。
〈――現在、マラソンとトライアスロンに夢中だそうですね。8年前にはフランクフルトで開催された鉄人レースに参加して518位の成績を残しました。トライアスロンとエル・クラシコでは、どちらが難しい勝負になりますか?
もちろんクラシコだよ。私が参加する鉄人レースは全員がアマチュア選手で、プロは1人もいない。それに私を止めようとするDFも、私の戦術を混乱させようとする相手もおらず、完全に1人だけの戦いになるのだから。だがサッカーはどうだい?〉
2000年、ぼくは勤務していた出版社を退社し、2ヶ月ほどスペインとポルトガルを旅したことがある。ポルトガル語に加えて、スペイン語を話すこともあり、それから数年間は頻繁にスペインを訪れることになった。ガリシアの小さなクラブ、デポルティーボ・ラコルーニャがリーガ優勝を決めた試合後、ピッチに熱狂する観客と共になだれ込んだのはいい思い出だ。
もちろんルイス・エンリケの現役時代のプレーも見ている。そして彼が取材をほとんど受けないことは聞いていた。監督は選手以上に発言の重みが生じる。FCバルセロナというビッグクラブの監督となったルイス・エンリケにインタビューを取り付けた「Jorge Luis Ramirez」はよほど優秀なジャーナリストなのだろうと思ったのだ。
ところが、あるとき――。
スペインのジャーナリストと「Jorge Luis Ramirez」の話になった。すると、彼はそんな人間は聞いたことがないと怪訝な顔になった。その瞬間、ぼくの頭の中にあった黒い染みが急速に大きくなった。
■バルサ広報「当該メディアのインタビューを一切手配していません」
「エアインタビュー」という言葉を日本のメディア関係者から教えられたのはそれからしばらくしてからのことだ。実際に取材をしていないにもかかわらず、国内外、新聞、雑誌、インターネットのインタビュー記事を無断引用、再構成して独自にインタビューした体裁を取る記事のことを指すという。
以前から外国人ジャーナリストによる怪しいインタビュー記事は存在した。この時期に、この人物のインタビューは取れるはずがないと思われるものだ。そうした記事には別の時期に撮影された写真が使われていたりもした。ただ、そうした種類の外国人ジャーナリストはアプローチの難しい被取材者を選ぶことが多く、その裏付けをとることは難しかった。
しかしFCバルセロナはそうではない。
今年2月4日、ぼくはFCバルセロナの広報担当のホセ・ミゲル・テレス・オリベヤ――通称“チェミ”に以下の質問を書いたメールを送った。
〈一、バルセロナ広報として、ルイス・エンリケ監督の「欧州サッカー批評special issue11」の取材が行われたことは把握していましたか?
二、この記事のインタビュアーである、Jorge Luis Ramirezという人物をご存じですか?
三、この「欧州サッカー批評special issue11」では、同じJorge Luis Ramirezが、シャビとブスケッツにもインタビューしています。こちらの取材について広報では把握していますか?〉
チェミからの返事は以下の通りである。
〈El departamento de comunicacion del FC Barcelona no ha gestionado entrevistas con el entrenador y losjugado res mencionados para este medio.Tam poco le consta que tanto elentrenador como los jugadores hayan concedido en trevistas por su cuenta a estemedio. El departamento de comunicacion tam poco tiene presente haber tenido relacion con este periodista.
FCバルセロナのコミュニケーション部門では当該メディアのインタビューを一切手配していません。そして、監督及び選手が自らの判断で当該メディアのインタビューを受けたこともありません。また、コミュニケーション部門が、そのジャーナリストと関係があったこともありません〉(訳・筆者)
バルセロナに近い信頼できるジャーナリストは、大金を支払えば、クラブの広報を通さずに取材できる選手もいると教えてくれた。ただ、こう付け加えた。「そこに監督のルイス・エンリケは含まれない」
Jorge Luis Ramirezが、日本の編集部に対して、「ルイス・エンリケに取材をした」と嘘をついて原稿を書いた、あるいは過去の取材データを再構成した可能性もあるだろう。
しかし――。
別のメールで、チェミはJorge Luis Ramirezというジャーナリストとは面識はないとはっきりと書いてきている。彼は96/97シーズンから、このカタルーニャのクラブで働いている。そのチェミが知らないジャーナリストが、ルイス・エンリケ、シャビ、ブスケッツに広報を通さずに取材することが出来るはずがない。
■サッカー批評編集部「本人が現役の記者のため、ペンネームで紹介をさせて頂いております」
現在、多くのジャーナリストはFacebookあるいはツィッターで独自に発信をしている。Jorge Luis Ramirezというジャーナリストらしきアカウントもない。そして、Jorge Luis Ramirezという人間の署名記事はインターネット上で見つけることはできなかった。
そこで、サッカー批評編集部へ三項目の質問状を送ることにした。
〈【質問1】
『欧州サッカー批評SPECIAL ISSUE11』に掲載されたルイス・エンリケへの一問一答形式のインタビュー記事は本当に取材が行われたものでしょうか?
【質問2】
念のためになりますが、ルイス・エンリケの取材日、取材場所をお教え願えますか?
【質問3】
当方で調査したところ、Jorge Luis Ramirezというジャーナリストの存在を確認できませんでした。『欧州サッカー批評SPECIAL ISSUE11』の筆者紹介を確認しても、Jorge Luis Ramirez氏のプロフィールの掲載がありません。当方で取材が行われたかどうか確認したいので、連絡先をお教え頂けませんか?〉
サッカー批評の渡辺拓滋編集長からの回答は次の通りだ。
〈【質問1】
実際に取材を行っております。取材を行っていないという趣旨で記事にされるのであれば、全くの事実無根です。
【質問2】
取材手法、取材日、取材場所に関しましては、お答えする義務はございません。
【質問3】
ホルヘ・ルイス・ラミレスはペンネームです。本人が現役の記者のため、ペンネームで紹介をさせて頂いております〉
■匿名の原稿で一問一答形式は使ってはならない
ぼくはかつて「週刊ポスト」という週刊誌編集部で編集者として働いていており、スポーツ新聞社の記者に原稿を依頼したことがある。スポーツ新聞には“差し障り”がある内容の記事を“アルバイト”として書いてもらったのだ。その際、彼らを守るためにペンネームを使ってもらった。メディアには時に執筆者を守ることが必要なことは理解している。
しかし――。
この記事は一問一答である。安易に使われがちなこの形式には暗黙のメッセージが埋め込まれている。それは、取材者が被取材者に間違いなく会って話を聞いたという証明だ。匿名の原稿で一問一答形式は使ってはならない。まっとうなジャーナリストならば当然理解しているはずの最低限のモラルである。
ルイス・エンリケのように取材を取るのが難しい相手に、わざわざペンネームの筆者を立てれば、何か後ろ暗いところがあるのではないかと、勘ぐられるのは当然だろう。
つまり、FCバルセロナがわざわざ日本のメディアまでチェックすることはないだろうと考えて、エアインタビューしたのではないかという疑惑だ。何より、この一問一答に酷似した英文のインタビュー記事が存在しているのだ――。
ぼくたちの仕事においては、取材が全て、である。どのような取材を行うかによって、形式、書き方はおのずと変わってくるものだ。それが小説とは違ったノンフィクション作品の奥深さでもある。
出版不況とはよく言われる。販売不振による経費削減でもっとも打撃を受けているのは、取材費が必要なノンフィクションである。ぼくはかつて編集者、そして今はノンフィクション作家として、この業界を20年以上見てきている。以前と比べて明らかに若い書き手が減ったことはその証左になる。
その中でサッカーは例外だ。紙媒体、ネット、多くのメディアが存在し、一定の書き手の数を確保している。その意味で、サッカーメディア出身の書き手がノンフィクションの担い手となる可能性がある。
だからこそ――。
歯を食いしばって地道に取材をしている人間が報われる世界でなければならないと強く思うのだ。(フットボール批評issue10より全文掲載)
【了】