“時代遅れ”になっていたミラン流のハイライン
フィリップ・トルシエ監督の率いた日本代表は、「やられそうでやられない」のが特徴だった。「フラット・スリー」による高いディフェンスラインは一発で裏をつかれるリスクと隣り合わせだったが、それを誘い水に緻密な組織守備で迎撃していた。しかし、2002年ワールドカップの段階では少なくとも4年遅れの戦術だった。
当初、ミランがやっていた非常に高い位置でのラインコントロールは、わりと早い段階で低めに設定し直されている。1994年米国ワールドカップでは、ミランでこの守備戦術を始めたアリゴ・サッキ監督が率いていたにもかかわらず、イタリアのラインはそれほど高くない。酷暑の米国では、ラインコントロールとセットになっているプレッシングが難しかったからだ。
1998年フランスワールドカップでは、アルゼンチン戦でのデニス・ベルカンプ(オランダ)の美しいゴールのように1本のパスで裏をつく攻撃が浸透していて、この大会ですでにラインは下がっていた。
ミラン型戦術の普及とともに対策も進んだヨーロッパでは、守備も修正が繰り返されていた。一方、98年に就任したトルシエ監督は4年後の自国開催に向けてヨーロッパに追いつくべく突貫工事のようにチームを作っていったわけだが、そこにヨーロッパのような厳しい競争はない。
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