※『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.13夏号』P10-15より転載
兄・勇人とともに歩んだ少年時代
――まず、サッカーを始めたきっかけは?
僕は双子ということで遊び相手として兄(現在ジェフユナイテッド市原・千葉に所属する佐藤勇人)がいつもいました。3、4歳のときに両親からサッカーボールをプレゼントしてもらって2人だけで遊び始めたのがきっかけですね。
そして小学校1年生になったときに、僕はサッカーチームに入りたくて大増サンライズFCにいきました。実は勇人はそのときに「剣道をやりたい」と言っていたのですが、僕がサッカーをしているのを見て、同じ大増サンライズFCに入ってきたんですよ。
――その「大増サンライズFC」に入ろうと思った理由はどこにあったのですか?
今までは勇人と2人でしかサッカーをしていなかったので「みんなでサッカーをしたい」と思ったことと、あとは「チームに入ってユニフォームが着たい」と思ったこと。当時、低学年チームのユニフォームが黄色、パンツが青だったのですが、それがブラジル代表のカラーリングと似ていたので、そこへの憧れもありましたね。
――当時のトレーニングではどんなことをしていたのですか?
リフティングとマーカーやコーンを置いてドリブルの練習をひたすらやっていましたね。今も監督をやっている平原隆幸さん(現・クラブ代表)からはボールコントロールやボールタッチの感覚を重要視される方だったので、グラウンドに来たら練習前にもみんなでひたすらリフティングをしていました。もう、それがクラブの習慣になっているんですよね。
――当時、リフティングはどれくらいできていたのですか?
低学年のときはさすがに覚えていないですけど、6年生のときには「1000回できたら手帳に名前が載る」というのがあって、そこまで行ったくらいですかね。普段も300回、400回は普通にできていたので、きっと今よりリフティングはうまかった。そう考えると「よくつづいたな」と思います。
――練習の頻度はどれくらいあったのですか?
低学年のときは週2回だったのですが、徐々に回数が増えて最終的には週4回くらい。週末に試合があったら、月曜日は休みで火・水に練習、木曜日は休みで金曜に練習といった感じですね。
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