世界基準だったファルカン監督
94年米国ワールドカップ予選で敗退した後、オフト監督が辞任。新監督に就任したのはブラジル人のパウロ・ロベルト・ファルカンだった。ファルカン監督は現代的な4-4-2を日本代表に導入している。完全ゾーン、中盤はフラット型の横並び。機能的には現在の4-4-2に近い。
ファルカンはブラジルのインテルナシオナルやASローマ(イタリア)で活躍した名手で、82年スペインワールドカップではジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾと組んだ「黄金の4人」の1人として大活躍した。
指導者としては1年ほどブラジル代表監督を務めたが、そのときのコパアメリカ準優勝という実績しかない。現役引退後にイタリアでテレビの解説者として人気があった。ACミランがゾーンディフェンスとプレッシングを組み合わせたサッカーで世界的な注目を集めていた時期であり、ファルカンが日本に導入しようとしたのもそのスタイルだった。
ところが、ファルカン監督は活動期間わずか9ヶ月で事実上解任されてしまった。アジア大会を入れても9試合しかやっていない。当時の最先端の戦術を導入しようとしたのだが、それが現状とかけ離れすぎていた。
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