インテルにはなぜ外国人選手が多い?
こんにちは、ファンタカルチョ.jpです。
ミランの歴史のコラムは楽しかったですか? 今日はミランの歴史と深い関係があるインテルの歴史の話をしたいと思います。
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その前に一つお知らせがあります。2016/2017ファンタカルチョ・シーズンのスタートが決まりました。9月1日からチームを編成できるようになり、9月10日からゲームが開始されます。(ファンタカルチョをご存知でない方がいれば、是非サイトにアクセスしてください。一緒にファンタカルチョを楽しみましょう)
なぜミランとインテルはつながりがあるのでしょう。実はインテルはミランから生まれたチームだからです。もう少し詳しく説明していきましょう。
1908年の話です。ミランには大きな決まりごとが二つありました。
・イタリア人選手だけで構成されたクラブを目指すこと
・どのトーナメントにも参加しないこと(当時のサッカークラブでは珍しいことではなかった)
この決まりごとに不満を持っていたミランのメンバー44人がミラノのジュゼッペ・メンゴニ通り(Giuseppe Mengoni)にあったロロロージョ(L`orologio)というレストランに集まり、インテルを設立しました。
ご存知かもしれませんが、インテルのフルネームはインテルナツィオナーレ(Internazionale)です。インテルナツィオナーレはイタリア語で「国際的」という意味で、このチームでは、イタリア人だけではなく外国人選手もプレーしてもらいたいという強い意思から誕生した名前です。
ちなみに昨シーズンには先発11選手が全員外国人だったことが話題になりました。
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次回もインテルの話をもう少し続けます。お楽しみに!
【了】