進歩に伴い、洗練されていくサッカーをめぐる論議
エレニオ・エレーラ監督が率いた1960年代のインテルは、かんぬきをかけるという意味の“カテナチオ”戦術で欧州タイトルを獲得した。写真は1965年、サン・シーロでベンフィカのストライカー、トーレスと競り合うインテルの守備陣【写真:Getty Images】
1990年代のアヤックスはルイス・ファン・ハール監督のもと、豪華メンバーを擁するポゼッションサッカーで一時代を築き欧州王者となった。写真は1995年、ACミランのバレージを打ち破り決勝ゴールを挙げる瞬間のクライファート【写真:Getty Images】
ハンス・オフト監督、パウロ・ロベルト・ファルカン監督のあとを継いだ加茂周監督の日本代表は1997年まで続いた。横浜フリューゲルス時代に標榜した当時最先端のゾーンプレスを代表でも採用、アジアでの地位を向上させた。写真は1995年、イングランド代表のピーター・ベアズリーをマークする井原正巳のディフェンス【写真:Getty Images】
日本支部のスクールで小学生が取り組んでいる2対2のグループ戦術であっても、そこにバルセロナらしさは存在する。
サッカーに於ける戦術とは、端的には、ボールの運び方、ボールの奪い方、相手の追い込み方、ポジションの取り方などの“やり方”やそれにともなう判断のことだが、最終的には“匂い”や“思想”を体現する術(すべ)となる。
だからこそ、サッカーファンは戦術論議に魅せられるのだ。イタリア人が先制した1点をベタ引きの守備で守りきれば、それを観る者は「いかにもイタリアらしい」と思うだろうし、等間隔にポジションをとってトライアングルを随所に形成し、パスをつなげば、観る者は「オランダらしい」と思うだろう。
やり方の背景に、それぞれの国で培われてきた哲学を感じ取るからこそ、そうした印象を抱くのである。
人気を博す戦術論議は、個人戦術やグループ戦術ではなく、フォーメーションと半ば一体化したチーム戦術についてだ。
たとえば、加茂周監督が率いた時代の日本代表チームはゾーンプレスを標榜し、戦術的な優位性を自信としていた。
しかし1996年のアジアカップではロングカウンターを武器とするクウェート代表の前に屈し、準々決勝で敗退した。このような状況では、観る者の意識はゾーンプレスとカウンターの二項対立を論じる方向に向かいやすくなる。果たしてどちらが優秀、または効果的なのか、と。
20年ほど前は、サッカーとは一試合を通じて同じ戦術とフォーメーションで戦うものだと言わんばかりの言説が多かった。それは、戦い方の変化に乏しく一本調子なチームを実際に目の当たりにしていたからなのかもしれない。
だが、そのようなチーム同士の戦いであったとしても、現実には、基本的にカウンター狙いのチームであってもポゼッションをする時間はあるし、自分たちでボールを支配して崩す攻撃を好むチームであっても、相手がラインを上げた状態でボールを奪えれば瞬時にカウンターに転じることがある。
一試合を通じてひとつの攻撃のみを繰り返すチームなどはありえない。「ゾーンプレス対カウンター」という物言いが成立するとしたら、それは基本スタイルの比較としてだろう。
現代サッカーにおいては、コンパクトにしてプレスをかけようとする相手の中盤守備網をかいくぐるために“ショートパスでつながずロングパスを通そうとする判断”はチームの基本スタイルに関係なく定石だ、とみな知っている。
もし相手が引いてブロックを形成していれば、その前でショートパスをつないで崩す機会をうかがうというように、同じチームでも時間帯によって戦い方は変わっていく。
このような知識が一般に広く浸透した現在、「ゾーンプレス対カウンター」「アクション対リアクション」といった二項対立的な形容は減ってきた。
サッカー自体が、戦術を局面や時間帯ごとに切り換え、フォーメーションを変更し、そのフォーメーション自体も可変システムであるというものに洗練されてきているから、なおさらだ。
サッカーファンが好む戦術論議も、サッカーの変化に応じて進歩し、より深く、“深化”してきていると言えるだろう。