生か死か。常に劇的だったクライフのサッカー
ソ連の生んだ伝説のバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフは、ヨハン・クライフはダンサーになるべきだったといつも言っていた。見る者の予想を突然のように裏切るクライフの、それでいてコントロールやバランスや優雅さを兼ね備えた動きに彼は魅せられていた。
あまりにも素早いクライフの方向転換や緩急の変化には、バレエでも再現できない何かがあるとヌレエフは捉えていたようだ。
「ダンスでは全ての動きが研究されているため、時には非常に退屈で悪しきものとなってしまうこともある」と、ヌレエフの親友であり協力者のルディ・ファン・ダンツィヒは作家のデイビッド・ウィナーに話したことがあった。
そのウィナーこそが、クライフとは何者であったかを誰よりも適切に表現している。
「サッカーとは瞬間の刺激だ。何が起こるかは決して分からない。だがクライフは常にコントロールできているかのようだった。彼は自ら何かを起こすことができた。まるでギリシャ悲劇のように、彼には何か劇的なものがあった。生か死か、とまで言わんばかりだ。たとえオランダリーグの単なる普通の試合だったとしても」
クライフの生きた日々はいつもそう感じられた。18カ月前に『ザ・ガーディアン』が行ったインタビューの際にニールス・デン・ハーンが撮影した写真も、大きく目を見開いて、決して油断しない激しさを秘めた彼のイメージを捉えている。
ドナルド・マクレーによるそのインタビューの中でクライフは、宿敵ルイス・ファン・ハールの展開する「軍隊的」な手法に対置するものとして、速く創造的なサッカーの価値を説いていた。
クライフを主題とした1972年の映画「ナンバー14」は、もはや伝説となった彼の背番号をタイトルとしたものだが、ここでもやはり同様の特徴が示されていた。だがウィナーも指摘するように、この映像作品に本当に不朽の価値を認めるべき点は、クライフの特に優雅な部分を捉えたスローモーション映像にこそあった。