不変の人気と背番号「8」、新たなポジションとキャプテンマーク
スイスの強豪バーゼルに所属した約1年半の期間の「前」と「後」とで、年明け早々の1月4日にセレッソ大阪へ電撃復帰した柿谷曜一朗を比べてみると――。変わっていない点は2つある。
まずはセレッソの歴代レジェンドの象徴とされてきた、背番号「8」を再び託されたこと。柿谷がバーゼルへ完全移籍した2014年7月以降、次にふさわしい選手が出てくるまでは持ち主不在となってきた。
「(柿谷)曜一朗はひょっとしたら違う背番号をつけたかったのかもしれないけど、帰ってくるからには8番を背負ってプレーすべきだということでね」
笑顔で振り返るのは、完全移籍での柿谷獲得へ交渉に当たったセレッソの玉田稔代表取締役社長だ。迎えた2月28日のJ2開幕戦。森島寛晃から香川真司、清武弘嗣と紡がれてきた「8」番の系譜が再開される。
セレッソが乗り込んだFC町田ゼルビアのホーム、町田市立陸上競技場は歴代最多の1万112人で埋め尽くされていた。ゼルビア関係者の胸を熱くさせた光景が、実は2つ目の変わっていない点だ。
4シーズンぶりにJ2へ復帰したゼルビアへの期待。そこへ、ワールドカップ・ブラジル大会のピッチにも立った天才への興味や好奇心が加わった相乗効果で、チーム史上初の満員札止め状態となった。
かつて「セレ女」ブームの火付け役になった柿谷の人気が、いまだ健在であることを物語るちょっとしたフィーバー。ならば、変わった点はあるのか。年齢を除けば、これも2つある。
まずは左腕にキャプテンマークが巻かれていたことだ。指名されたのは、開幕へ向けたキャンプ最終日の2月17日だった。決断を下した大熊清監督が理由を明かす。
「2度のキャンプにおける言動を見て決めたい、というのが僕のなかにあったので。キャンプでの姿勢やセレッソの歴史を踏まえて、年齢もいつの間にか26歳になっているので、ちょうどいいかなと最終的に曜一朗に決めました」
そして、キャプテンとともに託されたもうひとつの役割が、柿谷にまつわる2つ目の変化だ。キックオフを迎えたゼルビア戦。任されたのは慣れ親しんだワントップではなく、2列目の右サイドだった。