本田圭佑と重なるG大阪出身という軌跡
発売されている選手名鑑で前所属チームを調べると、ガンバ大阪ジュニアユースと記されている。もしやと思って河崎護監督に尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。
「そうなんです。あの子はガンバのユースに上がれなかったんですね」
15歳で大きな挫折を味わわされ、それでも夢をあきらめず、生まれ育った土地から遠く離れた石川の地を再出発の地に選ぶ。そして、攻守をオーガナイズする存在として、星稜高校を全国高校選手権のベスト4へ導いた。
ボランチの大橋滉平(3年)が描いてきた軌跡は、2004年度の選手権で星稜を石川県勢で初めてベスト4へ躍進させる原動力となった、本田圭佑(ACミラン)のそれと鮮やかに一致している。
当然ながら、安易な発想から質問を投げかけてしまう。偉大なる大先輩に憧れて星稜を選んだのかと。少しはにかみながら、3年前に自らの意思で下した決断が、偶然にも本田と重複したと大橋は力を込めた。
「本田さんをそこまで意識することはありませんでした。練習環境や寮の環境というものが、星稜高校はすごくよかった。本田さんの影響というよりは、そっちの影響のほうがすごく大きかったと思う。(ユースに)上がれないと告げられたときに星稜を選んで、選手権に出るという目標をもってここにきたので」
母校の大阪体育大学の先輩からの紹介を受けて、河崎監督が本田を受け入れたのは2002年。このときが第1号だった石川県外出身者のサッカー部員は、いまでは数え切れないほどに増えている。
今大会の緒戦だった玉野光南(岡山)との2回戦の先発メンバーを見ると、大橋やキャプテンのMF阿部雅志(3年)を含めて、半分を超える6人を県外出身者が占めていた。
星稜の選手権への出場は、今大会で17年連続26回目となる。全国に最も近い高校のひとつで、かつ上位進出も望める。夢と期待を抱いて親元を離れ、門を叩く決意を固めた15歳の少年を断る理由は何ひとつない。
だからといって、Jクラブのジュニアユース出身などという肩書がすぐに通用するほど、河崎監督が30年もの歳月をかけて築きあげてきた星稜の牙城は甘いものではなかった。