なぜ高校サッカーや大学サッカーを目指さなかったのか?
――丸山さんのキャリアは特殊です。高校も全日制ではなく、在学中は社会人クラブでプレーしていました。プロ契約を勝ち取ったのも海外が初めてです。一般的な日本社会の“レール”から外れることは勇気のいることですが、ご両親の反対はなかったのでしょうか?
「父親は『なにも考えずに選択をするな』という考え。みんなが高校に行くから…という理由では金は出さない。中学校3年生の時、進路相談をしたのですが、『高校で何をやりたいんだ?』と鬼の形相で睨まれたんです。子どもの時の僕としては『先生が親に相談しろと言ったんだけど…』という感じでしたが(笑)。
祖父がアメリカでデザイナーをやっていて、考え方が日本の枠に収まっていませんでした。今思えば、父親は自分のやりたいことを突き詰めてほしいと考えていたのだと思います。
高校生は多感な時期で、僕自身本当にやりたいことはサッカーなのかとても悩んでいました。それでも、親はそれがサッカーであると見抜いていたのだと思います。そういった理由でブラジル留学のお金は出してくれました。今でも感謝しています」
――その後も波乱のサッカー人生ですよね。国内のクラブと契約することもありましたが、大怪我もあり2年間もピッチから離れています。それでもプロサッカー選手になる夢を諦めなかったのですね。
「日本では『Jリーガーになれない=プロサッカー選手になれない』と思っている選手が多いのではないでしょうか。僕の場合、高校3年生の段階でJリーガーになれなくてもプロになれることを知っていました。自分が所属していた『FC COJB』というサッカースクールがブラジル留学斡旋などを通じて海外でプロになることを奨励していたからです。
高校に入学・卒業するのが当たり前という中で、ある日突然『海外もある』と気づくかどうかは、その選択肢を知るかどうかだけだと思います。幸いなことに、僕の周りにはそういう方々がたくさんいました。良くも悪くも選択肢も多かった。もちろん自分自身もアンテナを張っていました」