今週21日に発売される『フットボールサミット第10回――内田篤人が愛される理由。』の制作より、こぼれ話をひとつ。
本誌掲載の企画「鹿島アントラーズとの幸福な関係 ―内田篤人がいた4年半―」。
執筆いただいたのは、5年間、鹿島アントラーズを追いかけるライター・田中滋氏。
鹿島でプロ選手として成長し、鹿島から巣立った、出世頭の内田篤人選手の原稿を依頼すると、「アツトについて、一度は書いてみたかった」と内田選手への思いも一入でした。
そんな鹿島への深い愛情を持っている田中氏。その深さゆえに原稿へのこだわりもある。
だからこそなのか、じっくりと執筆する。
本紙校了が12月12日。原稿が届いたのが12月11日。
まさに、“じっくり”と、だ。
ただ、リミットぎりぎりで送られててきた原稿の端々に、登場いただいた鹿島関係者の内田選手への愛情が随所にしたためられていました。編集部・川口にとっては、これが思わず、“グッ”とくる内容。今回、鹿島の鈴木満常務取締役兼強化部長、椎本邦一スカウト部長、小笠原満男選手、岩政大樹選手に内田選手について聞いた内容のなかから、以下を抜粋してみました。
内田を鹿島に連れてきた男
そんな内田篤人を、鹿島に連れてきたのは椎本邦一だ。
鹿島のスカウトは、選手獲得の決定権を握っている。
クラブによっては、スカウトが目を付けた選手を練習させ、監督などが最終判断を下すところもあるようだが、鹿島はその権限をスカウトが持つ。
それまで不動の右サイドバックとしてチームを支えてきた名良橋晃に怪我が多くなり、クラブとしても次の右サイドバック候補を探さなければいけない時期に差し掛かっていた。
椎本の決定は重大事項だったが、そこに迷いはなかった。
「パッと見た第一印象だよね。高校3年生になったら声をかけようと思った」
足が速くて、前に行ける選手。その着眼点で選手を捜したとき、目に入ってきたのが内田だった。
「足が速かった。それに、あいつはキックも巧いんだよ。縦パスを出すタイミングが独特だった。あの年代のなかでは巧かったんじゃないかな。守備はまだまだだったけど、そこは入ってからでも覚えられるし、気にならなかった」