フィジカル重視の“プレーしない”サッカースタイルを真っ向から否定
ラウレアーノ・ルイスという人物をご存知だろうか。7月にカンゼンより発刊された『世界最高のサッカー指導書 バルセロナトレーニングメソッド』の著書で略歴にはこうある。
「1972年にバルセロナのユース監督、1974年にバルセロナのカンテラ(下部組織)を統括するコーディネーターに就任し、独創性あふれる練習法によってクライフに先んじてバルセロナのコンセプトを作り上げた“バルサメソッドの創始者”。これまで、約3万人の選手を指導し、そのうち約1000人のプロサッカー選手、うち約50人の代表選手を輩出してきた。バルセロナの代名詞とも言える“ロンド”の発明者としても知られる」
バルサの指導現場で奮闘した軌跡、そして蓄積した指導メソッドの真髄を収録した本書は、バルサのカンテラ密着の現場ルポタージュの色合いが強い。
今に比べればいわば更地とも形容できるバルサの指導風景に新たなイデオロギーを注ぎ込んでいく作業は、まさに闘いの歴史だった。常識とされて蔓延する“誤った既存”に対する反発、そして思考を巡らせずにルーティンを繰り返すだけの指導者たちへの痛烈な批判が、これでもかと書き込まれているからだ。以下、引用したい。
「体が大きく、肉体が強靭なプレーヤーをほしがっている監督や多くのサポーターたちは、トップの舞台で活躍するサッカー選手になるために、特にこれといった資質は必要ないということをなかなか理解できません」
「(スペインの育成年代で)最も目につくのは、(身体能力などの)強さ、戦いを重視した『プレーをしない』サッカースタイルです。スペイン代表とFCバルセロナのおかげで、『正真正銘のサッカー』を行うチームは増えていますが、その数はまだ少ないものです。多くのチームは、ボールを大きく蹴り出す、『ダイレクトサッカー』を行っています」
いかにもバルサ的な、ある意味では偏っているとも言える拘りや哲学を感じさせる書き込みが冒頭からずらりと並ぶ。ラウレアーノは、かつてバルサ内部でも闘いがあったことをこう明かす。
「背が高い、低いという問題は、まだバルサも乗り越えることができていない問題です。他クラブと同じように、指導者の中には背が高く、屈強な選手を好み、小さい選手は役に立たないと考える指導者もいるものです。ヨハン・クライフがバルサで指揮を執る間、口を閉ざしていた指導者たちは、彼の退任と同時に間違った考えを主張し始めます。たとえば、2000年にチャビ・エルナンデスは、ナイジェリアでU-20のワールドカップでタイトルを獲得した際に、バルサの指導者たちがチャビを必要としていないのを見て、ACミランへと移籍しそうになりました。しかし、母親の反対により契約には至りませんでした。もう一人プレーヤーとしてふさわしくないと考えられていた選手はアンドレス・イニエスタでした――」
そんな指導者たちとの戦いと、それに負けない指導メソッドを示したのが本書であり、7~11歳、11~14歳、15~16歳、17~19歳などと世代に分けてやるべきトレーニングと考え方が詳細に示されていく。
とりわけ19~20歳のいわばプロ入り直前の選手たちには「テクニックを向上させる過程に時間をかけるのと同様に、外的要因から影響を受けない集中力をコントロールできるようにならないといけない」と、この年代から精神面のトレーニングを始める重要性を説き、具体的な方策として呼吸法やモチベーションやイマジネーションの高め方を書き連ねるくだりは、一指導者としてカバーする分野の幅の広さと様々な知見の蓄積が感じられて興味深い。
また、本書最大のハイライトは4章以降の攻撃についての記述だろう。
ここでもラウレアーノは「どうして攻撃の組織が存在しないのでしょうか?」と読者と想定される指導者たちに挑発を繰り返し、「秩序、ポジションニング、相手をだますこと、イマジネーション、インスピレーションについて具体的に説明することができる指導者がいないのです」と頭をもたげる。
そのうえで「最前線のFWはピッチ幅を考えてプレーする」「偽9番が有効な理由」「ウィングに求められる役割」などと具体的な言及に移っていくのだが「引いて守りを固める相手の攻略法」のくだりなどはまさにバルサっぽさが十分。日本サッカーにとってもタイムリーなトピックであるが、詳細は本書に譲ることにしたい。
バルサ全盛のときに刊行されていれば疑いもなく礼賛されていただろう本書だが、もし最先端のトレーニング方法などを求めるならドイツ方面の文献などを当たったほうが無難だ。本書には真新しいそれが豊富とは言い難い。
ただし、一時代を築いたクラブの、その源泉となった指導の型が収録されているのは紛れもない事実だ。困ったときに立ち返ることができる型や哲学があるクラブやチームが強いのは、もはやサッカー界の真理である。ここに収録されているのは王者の型であり、どの時代も普遍的でいかようにもアレンジ可能な指導の型だ。一読をお薦めしたい。
【了】