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大物になるはずが…。プロで消えた元ユース出身の超天才(5)22歳で引退…。異色のキャリアを歩んだ男

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

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 若くして評価され、「天才」と称される選手たちがいる。しかし彼らがそのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみ、コンディションを落としていく者もいる。今回はJリーグクラブの育成組織で期待を集めながらも、才能を発揮しきれなかった選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。対象はユース出身者のみ

MF:越智隼人(おち・はやと)

越智隼人
【写真:Getty Images】

生年月日:1982年7月17日
下部組織:横浜フリューゲルスユース→横浜F・マリノスユース出身
主な在籍クラブ:セレッソ大阪、モンテディオ山形

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 越智隼人は、横浜F・マリノスの育成組織で注目されていたMFだが、トップチーム昇格に至らず、セレッソ大阪でプロになった異色の経歴の持ち主だ。

 越智は、中学時代に埼玉県選抜の一員として活躍。当時の埼玉県選抜には、のちに日本代表となるGK川島永嗣や、中澤聡太といった有力選手が名を連ねていたが、そのチームで特に輝きを放った一人が越智だった。

 高校時代、越智は横浜フリューゲルスユースに所属していたが、同チームはクラブの経営統合により横浜マリノスユースと合併した。しかし、高校3年時に負ったケガの影響もあり、横浜F・マリノスのトップチーム昇格はならず、セレッソ大阪へ加入。プロキャリアをスタートさせた。

 しかし、プロの舞台ではなかなか起用されず。1年目にJ1で5試合に出場したものの定着には至らず、2003シーズンはモンテディオ山形に加入したが、ここでもJ2出場2試合にとどまり、2004シーズン終了後、22歳の若さで現役引退を決断した。

 引退後の越智は山形に根付き、モンテディオ山形の試合を中心に解説者を担当する傍ら、山形市のSFCジェラーレというサッカースクールの代表を務めている。

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