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嬉しい限り! 日本で引退した外国人スーパースター6人。世界レベルを披露してくれた偉大な男たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

FW:ドラガン・ストイコビッチ(元ユーゴスラビア代表)

ドラガン・ストイコビッチ
【写真:Getty Images】

生年月日:1965年3月3日
最終在籍クラブ:名古屋グランパス

 ずば抜けたスター性という点で、ドラガン・ストイコビッチはJリーグの歴史で最大級のインパクトを与えた選手だと言って良いだろう。

 ユーゴスラビア代表FWは、1994年夏にマルセイユ(フランス)から名古屋グランパスの一員に。試合開始18分で退場するという衝撃的な形で日本デビューを果たしたが、それは序章に過ぎなかった。

 当初は半年の在籍になるはずだったが、同年11月にアーセン・ベンゲル監督の就任が決まったことで予定を変更して契約延長。世界的名将の下で、その才能を存分に発揮し、すぐにチームの中心選手として活躍するようになった。

 特に1995シーズンは公式戦17ゴール29アシストという驚異的な成績を記録。年間最優秀選手賞を受賞しただけでなく、チームに初めてのメジャータイトルとなる天皇杯優勝をもたらしている。

 際立っていたのは繊細なボールタッチと創造性あふれるパスセンスだ。相手の意表を突くプレーはお手の物で、1994年のリーグ戦で見せた水たまりだらけのピッチをリフティングドリブルで前進するプレーや、2000年の元日に開催された天皇杯決勝で見せた連続フェイントゴールなどは『ピクシー』を象徴するシーンとしてあまりに有名だ。

 最終的に名古屋には2001年の現役引退まで在籍し、2度の天皇杯優勝に貢献。同クラブではリーグ戦通算184試合に出場し、外国人選手としてはミッチェル・ランゲラックに次いで2番目に多い出場数を誇っている。

 現役引退後、2008年に名古屋の監督に就任。2010年にクラブ史上初のJリーグ優勝を達成し、選手時代の忘れ物を監督として掴み取っている。

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