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コラム 5日前

「明日の試合を中止にはできない」なぜ戦争下でもサッカーをやめないのか? 現役Jリーガーが感じたプレーする価値【コラム】

シリーズ:フットボール批評オンライン text by 岡田優希 photo by Getty Images

「この現実を知るだけでも本書を読む価値がある」

「ドンバス・アリーナを建設するために注ぎ込まれたあらゆる計画、想像力、願望、愛情を考えれば、シャフタールがその準備に費やした時間が、そこで実際にプレーできた時間よりも長い」(p170)という悲しい結末になってしまった。


「あそこが射撃訓練の的に使われているのを見るもつらいことだ。」(p170)

 本書には他にもシャフタールに関わる人々、そしてウクライナ国民がどれだけの損害を受け、明日命があるかわからない状況で耐え抜いているか、ということを記している。

 特にロシアの本格的な軍事侵攻が始まり、ドンバスを捨てて安全な場所に脱出しようとする様子は何よりも臨場感があり、まるでその場に居合わせたような衝撃がある。

 この現実を知るだけでも本書を読む価値がある。

 しかし私は現役のプロサッカー選手として、この惨劇から戦争の恐ろしさや悲惨さを考えること、伝えることだけにとどまらず、この世の中におけるサッカー、そしてスポーツの意義について考えたい。

 サッカーというスポーツ、いや全てのエンターテイメントは、人々の安全な暮らしの上に成り立っている。

 人々の健全な生活が最も大事であり、人命が脅かされる状況では今を生きることに精一杯であり、明日の生活のためにそして食糧や寝床を探さなければならない。

 そんな状況下ではエンターテイメントは無力だ。

「サッカーは最も重要ではないものの中で最も重要なものだ」(アリゴ・サッキp24)

 しかしシャフタールの選手たちは、自分の国の兵士がロシアと戦争をしていて、軍事行動を行っている中、トレーニングに励み、そして試合を戦わなければしなければならない。

 家族の安否さえ分からず、いつ戦争が終わるともしれない状況の中、なぜサッカーをプレーするのか。

 むしろなぜシャフタールにウクライナサッカー連盟、UEFAは試合の場所を提供するのか。

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