難しい決断だったが…。それ以上に強かった“ある思い”
「僕が初めて見たサッカーの試合が浦和だった。(ロブソン・)ポンテとかワシントンの時代ですね。ポンテは一目見て『すげえな』と興奮した記憶があります。小学生の時はハートフルでやっていました。でもジュニアユースのセレクションは1次試験で落ちた(苦笑)。憧れのクラブでプレーすることはやっぱり自分にとって夢でしたね」と本人は偽らざる胸の内を吐露する。
移籍に際しては、広島の元同僚・長沼洋一にも相談したという。
「本人から『浦和からオファーが来たんですけど、どうしましょう』と相談されました。広島での地位を捨ててこのチームに来るのはすごい決断だと思う。『ここで広島みたいな地位を築けば、選手としてのレベルも上がっていくんじゃないかな』と声をかけました」と長沼も語っていたが、スキッベ監督体制である程度、自分の立場が保証されている中で外に出るのは普通にはできない決断だ。それほどまでに「浦和でやりたい」という思いが強かったのだろう。
そういった強い意思が、新天地においる短期間の序列アップにつながっている。東松山市立北中学校時代に在籍したクマガヤSCの1つ上に当たる金子拓郎ら旧知のプレーヤーがいることも大きいが、松本は「8番のポジションから裏に抜けてほしい」というスコルジャ監督の要求に全力で応え、実戦でも結果を残しているのだ。