MF:本田圭佑(ほんだ・けいすけ)
生年月日:1986年6月13日
出身高校:星稜高等学校(石川)
高校卒業後の加入先:名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)
プロ1年目のリーグ戦成績(2005シーズン):31試合2得点0アシスト
それほどサッカーを詳しく知らなくても、「日本サッカー界で有名な人物は?」と聞かれれば本田圭佑の名を挙げる人は多いかもしれない。それほどまでにピッチの内外で絶大な存在感を放ち続けた“レフティーモンスター”は、プロ1年目から高卒ルーキーらしからぬ活躍を披露していた。
のちに日本サッカー界を代表する存在となる本田だが、意外にも中学時代にはガンバ大阪ジュニアユースからユースへの昇格が見送られている。当時はスピードやスタミナに難があり、カテゴリーの壁を超えることができなかったのだ。
そのため、本田は星稜高等学校へ進学。3年時にはキャプテンとして第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、石川県勢初のベスト4進出に貢献し、卒業後は名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)へ加入した。
迎えた2005シーズン、3月5日に行われたJ1リーグ開幕戦のジェフユナイテッド千葉戦で、本田はクラブ史上4人目となる高卒ルーキーでの開幕スタメン入りを果たした。それだけに留まらず、同試合ではアシストも記録。勢いそのままに4月28日の第8節・東京ヴェルディ戦ではプロ初得点を決めてみせた。
ルーキーイヤーは[4-4-2]システムの中盤左サイドを任されることが多く、本田は得意の左足から高精度のクロスを最前線に供給し、チャンスを演出。名古屋の左サイドは対戦相手から最も警戒されるポイントの1つとなっていた。
名古屋で掴んだ確かな自信を胸に、本田は海外でキャリアを重ねる。21歳の若さでVVVフェンロ(オランダ)に移籍すると、世界的な名門クラブのミラン(イタリア)では栄光の背番号「10」を着用した。
その後も各国を渡り歩き、本田の得点記録は10ヶ国に及んでいる。38歳となった現在も現役を続行している男の足跡は、プロ1年目にしてリーグ戦31試合で2得点をマークした2005年の活躍なくしては語れない。