フットボールチャンネル

Jリーグ 2か月前

プロ1年目の衝撃! Jリーグ史上最強の高卒ルーキー10人。日本サッカー界を驚かせた元逸材たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

MF:中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)

元サッカー日本代表MF中村俊輔
【写真:Getty Images】

生年月日:1978年6月24日
出身高校:桐光学園高等学校(神奈川)
高校卒業後の加入先:横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)
プロ1年目のリーグ戦成績(1997シーズン):27試合5得点0アシスト

 中村俊輔の名を聞くと、「日本サッカー界を代表するレフティー」「フリーキックの名手」といったフレーズを頭に思い浮かべるファンも多いだろう。Jリーグや日本代表のみならず、セリエAやスコティッシュ・プレミアリーグ(現:スコティッシュ・プレミアシップ)といったヨーロッパでも鮮烈な印象を残した男は、ルーキーイヤーから黄金の左足を存分に振るっていた。

 1997シーズン、中村は桐光学園高等学校から横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)へと加入する。開幕スタメンこそ逃したものの、1997年4月16日に行われたJ1リーグ第2節のガンバ大阪戦で途中交代から約35分間出場。同年5月3日の第6節・ベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)戦で、中村はプロ初得点をマークした。この記念すべきゴールは、のちに中村の代名詞となる直接フリーキックによるものだった。

 周囲が横浜Mの背番号「25」に大きな期待を寄せる一方で、中村は18歳らしい“若さ”を見せることもあった。次第にスタメン起用の場面が増えていくなかで、フル出場を果たす機会はごくわずか。途中交代後、ベンチで憮然とした表情をしている姿をカメラに捉えられたりもした。

 しかし、中村がそのまま腐ることはなく、悔しさをバネに次の試合でも全力を尽くしてハビエル・アスカルゴルタ監督の信頼に応えていった。プロ1年目はリーグ戦27試合に出場して5得点をマーク。1997年はJリーグに新たなスターが誕生した1年だった。

 その後、中村はイタリアへと渡り、スコットランド時代はセルティックでリーグ制覇3回をはじめとする数々のタイトルを獲得。UEFAチャンピオンズリーグ(CL)では、世界的名手のエトヴィン・ファン・デル・サール(当時マンチェスター・ユナイテッド所属)を破る伝説的なフリーキックを叩き込むなど、後世に語り継がれるようなプレーを数多く披露した。

 2022シーズン限りで現役を引退した稀代のファンタジスタは、2023年から横浜FC のトップチームコーチを務めている。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

KANZENからのお知らせ

scroll top
error: Content is protected !!