MF:遠藤保仁(えんどう・やすひと)
生年月日:1980年1月28日
出身高校:鹿児島実業高等学校(鹿児島)
高校卒業後の加入先:横浜フリューゲルス
プロ1年目のリーグ戦成績(1998シーズン):16試合1得点0アシスト
1980年代後半から1990年代前半にかけて、鹿児島サッカー界で「遠藤3兄弟」の名を知らない人はほとんどいなかっただろう。そんな3人の中でも特別な才能を持っていた遠藤保仁は、鹿児島実業高等学校卒業後に加入した横浜フリューゲルスで鮮烈なJリーグデビューを飾り、後に日本サッカー史に名を刻む選手となっていった。
1995年に1年生ながら全国高等学校サッカー選手権大会優勝を果たした遠藤は、1998シーズンに横浜フリューゲルスへと加入する。1998年3月21日、J1リーグ開幕戦の相手は同じ街を本拠地とする横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)。当時、横浜Fを率いていたカルロス・レシャック監督にポテンシャルを買われ、遠藤は先発に抜擢された。
その遠藤は指揮官の信頼に応え、同年8月1日の第15節・鹿島アントラーズ戦でプロ初得点をマーク。プロ1年目はリーグ戦16試合に出場し、高校時代の評判が決して大袈裟なものではなかったことを示した。
1998シーズン限りで横浜Fが消滅するという惨事に見舞われたが、その後遠藤は京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)、ガンバ大阪、ジュビロ磐田でプレー。特にG大阪時代はクラブ史上初の国内三冠を達成するなど、栄光に彩られた時を過ごした。
また、日本代表では2002年のデビュー以降、公式戦通算152試合に出場して15得点28アシスト。ワールドカップには3回出場し、正確無比なキックと抜群のプレービジョンで中盤を支え続けた。
鳴り物入りでJリーグに挑戦した選手がプレッシャーに押しつぶされてしまうことは決して珍しくない。その点、横浜Fで上々の滑り出しを見せた1998年は、約26年続いた遠藤のキャリアの中でも特別な意味を持つ。
キャリアの初期からスーパーな存在だった“中盤のマエストロ”は今年、古巣・G大阪のトップチームコーチとして2年目を迎える。