DF:松田直樹(まつだ・なおき)
生年月日:1977年3月14日
出身高校:前橋育英高等学校(群馬)
高校卒業後の加入先:横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)
プロ1年目のリーグ戦成績(1995シーズン):33試合1得点0アシスト
松田直樹はトルシエジャパンの“フラットスリー”をけん引し、2002年の日韓ワールドカップで日本代表史上初のベスト16進出に貢献した偉大なセンターバック(CB)だ。
Jリーグでは、1995年から約15年に渡って横浜F・マリノスでプレー。クラブに忠誠心を示し続け、“ミスターマリノス”と呼ばれるほどサポーターから愛された。
中学までストライカーだった松田はU-15日本代表時代にCB適正を見出されると、以降はディフェンダーとして人生を歩んでいくことになった。前橋育英高等学校でのプレーぶりから「超高校級」と称されると、当時のJリーグ全12クラブのうち10クラブが争奪戦を展開。松田は最終的に横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)加入を決意した。
1995年3月18日、松田はJ1リーグ開幕戦(対鹿島アントラーズ)で先発に抜擢された。その後は主に途中出場が多くなったものの、1stステージ(サントリーシリーズ)優勝に貢献。2ndステージ(NICOSシリーズ)では出場機会を増やし、同年9月30日のリーグ第13節・名古屋グランパスエイト(現:名古屋グランパス)戦ではプロ初ゴールを決めた。なお、チームは1995シーズンに初の年間王者となっている。
プロ1年目にリーグ戦33試合出場という成績は、高卒ルーキーという背景を鑑みれば十分過ぎる結果と言えるだろう。松田は「超高校級」の触れ込みを自身のプレーで証明してみせたのだった。
2010シーズンまでトリコロールのユニフォームを纏うと、翌2011シーズンには当時日本フットボールリーグ(JFL)の松本山雅FCと契約。しかし同年8月2日、チームの練習中に急性心筋梗塞を発症し、34歳の若さで逝去した。
熱いプレースタイルで見る者すべてを惹きつけた男、松田直樹。Jリーグ史上最強の高卒ルーキーを紹介するうえで、この“闘将”を外すわけにはいかない。