DF:アベル・シャビエル(元ポルトガル代表)
生年月日:1972年11月30日
移籍金:120万ユーロ(約1.9億円)
通算成績:21試合2ゴール2アシスト
DFアベル・シャビエルの「マージーサイド・ダービー」間の移籍は、結果的に成功とは言えなかった。
シャヴィエルは、1990年にポルトガルのエストレラ・アマドーラでプロデビュー。その後、同国のベンフィカ、バーリ(イタリア)、レアル・オビエド(スペイン)、PSV(オランダ)と欧州各国リーグを渡り歩き、1999年にエバートンに加入した。
プレミアリーグでもその実力を発揮していたシャビエルは、2002年の冬の移籍市場でリバプールに移籍することを決断する。
冒頭で触れた通り、エバートンとリバプールはライバル関係にあり、この移籍は物議を醸すことに。しかし、シャビエルにも考えがあったようで、彼は英メディア『FourFourTwo』の取材で「彼らは財政問題に苦しみ、降格を回避すべく戦っていた。私は2年半の契約を結んでいたが、延長することはできなかった」と発言。愛するクラブの経済状況を改善しようと、移籍金を残すためにライバルクラブからのオファーを受けたと釈明した。
紆余曲折あったが、シャビエルはリバプールでのデビュー戦でゴールを決めるなど、新天地で幸先の良いスタートを切る。主に右サイドバックとしてプレーし、プレミアリーグ2位フィニッシュに貢献すると、翌2002/03シーズンも序盤はフル出場が続いていた。
しかし、第4節のニューカッスル戦後にジェラール・ウリエ監督と衝突して以降は急激に出場機会が減少。ワージントン・カップ(現カラバオ・カップ)のイプスウィッチ戦を最後に姿を消し、シャビエルは2003年1月にガラタサライ(トルコ)への期限付き移籍を決断した。
2003年7月にリバプールに復帰するものの、2004年1月にハノーファー(ドイツ)へ完全移籍。指揮官との対立を乗り越えられず、クラブを去っている。