バルセロナから興味も…。父が移籍を勧めなかった理由は?
テクニカル・ダイレクターのジョヴァンニ・サルトーリのお眼鏡にかなった選手であった。しかし、オランダやベルギーから数多くのダイヤの原石を発掘してきた慧眼の持ち主が惚れ込んだ若者だが、ボローニャにとっては、すでに手が出せないほどの高値がついていた。
イタリアのクラブだけではない。タイアニの代理人でもある父親のマルティンが、今年11月にオランダ日刊紙『Algemeen Dagblad』のインタビューで、バルセロナからも関心を寄せられたことを激白している。
「プレミアリーグのクラブが息子に興味を抱いていたが、接触したのはバルサだけだ。スポーツ・ダイレクターのデコと私は直接会って話しをした。本当に本人なのか、彼のプロフィール写真を見て確認したよ(笑)。
もちろん彼らが息子を欲していることは嬉しかったが、彼らが求めていたのはセルヒオ・ブスケッツの後釜だった。それでタイアニには『お前はブスケッツのようなタイプではない。気がついたときには、ベンチを温めていることだろう。海外で失敗した何人もの選手の一人になってしまう』とアドバイスした」とエピソードを明かしている。
こうして、タイアニは、初の海外挑戦のクラブにミランを選択することとなる。
「ミランでプレーすることで、幼い頃からの夢を実現した」
オランダ人にとって、ミランでプレーすることは格別だ。スクデットを3度とUEFAチャンピオンズカップ(現欧州CL)を2度もクラブにもたらしたルート・フリット、フランク・ライカールト、マルコ・ファン・バステンのオランダトリオを筆頭に、エドガー・ダービッツ、ミヒャエル・ライツィハー、パトリック・クライファート、ウィンストン・ボガルデ、クラレンス・セードルフ、ハーヴィー・エサス、ヤープ・スタム、クラース・ヤン・フンテラール、ウルビー・エマニュエルソン、マルク・ファン・ボメル、ナイジェル・デ・ヨング、マルコ・ファン・ヒンケルと、15人ものオランダ人がプレーしてきた。
その多くがオランダ代表としても輝かしい功績を残してきた選手たちだ。そして、14/15シーズンに所属したファン・ヒンケルから8年の年月を経て、16人目のオランダ人プレーヤーとなったのが、タイアニだ。
実はあのオランダ人のレジェンドも一度だけ、赤黒のユニフォームに袖を通したことがある。「空飛ぶオランダ人」の異名を持った、ヨハン・クライフだ。