海外日本人選手 最新ニュース
昨年5月に高岡伶颯(日章学園)のサウサンプトン加入内定が発表された。高岡のようにJリーグを経由せずに海外挑戦を決断する選手は多くなく、一般的に海外移籍は言語や文化、環境面で苦戦する可能性が高い。そのリスクは承知の上で、さらなる成長を目指し欧州サッカーの舞台へ。今回は若き頃から輝きを放ち、高校卒業後に海外のクラブへ羽ばたいた逸材を紹介する。
※スタッツはデータサイト『Transfermarkt』を参照。情報は2025年1月10日時点。
FW:宮市亮(みやいち・りょう)
生年月日:1992年12月14日
加入先:中京大中京高校→アーセナル
高校サッカーを沸かせたスピードスターは、キャリアの出発地を「アーセナル」に定めた。
現在32歳の宮市亮は、高校時代に世界の注目を集めた。2008年に中京大中京高校に進学すると、1年時からレギュラーを獲得。抜群のスピードと突破力を活かし、サイドアタッカーとして成長した。
在学中に全国高校サッカー選手権に2度出場。その両方で大会優秀選手に選出される素晴らしい活躍を見せ、「和製ロナウド」の異名が付けられた。また、同時期には宇佐美貴史らとともに未来の日本代表を担う「プラチナ世代」として年代別代表にも選ばれている。
鮮烈なインパクトを残し続ける若き才能には、日本のみならず欧州のビッグクラブも注目した。当時アーセナル(イングランド)を率いていた名将アーセン・ヴェンゲルは宮市を高く評価。そして、2010年冬に同選手のアーセナル加入が決定した。
ただ、就労ビザの問題でアーセナル加入後すぐにフェイエノールト(オランダ)へ期限付き移籍。ここでシーズン途中の加入ながらリーグ戦12試合に出場し、8得点(3得点5アシスト)に絡む大活躍を見せた。
素晴らしい形でプロキャリアをスタートさせた宮市だったが、以降は怪我に苦しめられた。2015年夏に加入したザンクト・パウリでは両ひざの前十字靭帯断裂を経験し、あわせて1年以上ピッチから離れることになった。
その後も怪我と隣り合わせのキャリアを歩んでおり、2021年に横浜F・マリノスに移籍してからも、日本代表に復帰を果たした2022年のE-1サッカー選手権(韓国代表戦)でまたも右膝の前十字靭帯断裂の憂き目にあった。それでも宮市は怪我を乗り越え、2024シーズンは頼れるスーパーサブとしてリーグ戦32試合に出場している。
サッカー選手としては致命的な大怪我を何度も経験しながらも、その度に立ち直ってきた宮市の精神力は並大抵のものではないだろう。高校時代の彼が思い描いたキャリアではないかもしれないが、若い頃から世界の舞台で戦い、現在まで第一線で走り続ける宮市の姿に勇気をもらったサッカーファンは少なくないはずだ。