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なぜダメだった…。日本の「消えた天才」(5)Jリーグ新人王→7部リーグも経験…。高校時代がヤバすぎた男

シリーズ:日本の消えた天才10人 text by 編集部 photo by Getty Images

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 若くして評価され、「天才」と称される選手たちがいる。しかし彼らがそのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみ、コンディションを落としていく者もいる。今回は大きな期待を背負いながらも才能を発揮しきれなかった日本人選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。

FW:カレン・ロバート

VVVフェンロ時代のカレン・ロバート
【写真:Getty Images】

生年月日:1985年6月7日
主な在籍クラブ:ジュビロ磐田、VVVフェンロ

 カレン・ロバートは、北アイルランド人の父と日本人の母のもとに生まれた長身FWで、市立船橋高等学校で評価を高めた。

 2002年度の全国高等学校サッカー選手権大会では2年生ながら、平山相太らを擁する国見高等学校を下して優勝し、高円宮杯全日本ユースでも優勝。天皇杯では3回戦まで勝ち進み、当時のJ1王者・横浜F・マリノス相手にPK戦までもつれ込む激闘を演出した。

 このような活躍で注目を集めたカレンは、2004年にジュビロ磐田でプロキャリアを始めると、2005シーズンにはリーグ戦31試合に出場して13得点3アシストを記録。Jリーグ新人王を受賞した。

 その後、Jリーグでの成績が下降したが、2011年冬にオランダのVVVフェンロに加入。このシーズンの昇格・降格プレーオフでゴールを挙げ、クラブを窮地から救う活躍を見せた。

 2011/12シーズンからはフェンロで背番号10を託されたが、期待に応えることはできず、2013年にフェンロとの契約が満了した。

 カレンはその後、イングランドへの移籍を模索したが実現せず、最終的にタイのスパンブリーFCへ加入。その後は、韓国、インドと、アジアのリーグを転々とし、代理人とのトラブルにより1年間所属クラブがない時期も経験した。そして、2018年夏にイングランド7部相当のレザーヘッドFCに加入し、翌年現役引退を表明した。

 J1通算110試合出場29得点、オランダリーグで背番号10という十分なインパクトを残した一方で、高校時代の衝撃度を考えると、もっと大成していても不思議ではない選手だった。

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