松井大輔氏がサッカーを通じて大事にしていたこと
松井氏と駒野氏がともに出場した南アフリカワールドカップのパラグアイ代表戦で、駒野はPKを外し、日本代表はベスト16敗退となった。松井氏はこの舞台で、その苦い記憶を払拭する機会を盟友に与えた。
松井氏は駒野氏のもとに歩み寄り、「バーに当てるなよって、ちゃんと決めてね」とささやくと、「その方がちょっと緊張するわ」と返された。結果は見事に成功で、松井氏の引退試合は締めくくられた。
目まぐるしく変わる試合展開と同じように、松井氏は1つの場所に留まることなく、多くの経験を積んできた。中学卒業とともに親元を離れ、鹿児島実業で自身の武器を磨き、地元の京都パープルサンガでプロキャリアをスタートさせた。まだ欧州でプレーする日本人選手が少なかった時代に、自らの実力で立場を築いた。その後もロシア、ブルガリア、ポーランド、ベトナムと渡り歩き、フットサルに挑戦した時期もある。
引退試合後の会見では、「人との繋がり」を強調していた。1つひとつの経験が松井大輔という人間を形成し、人と人とをつないでいった。
「関わることによって自分が成長できたのではないかなと思っています。これからもいろんな縁があるとは思うんですけど、その縁を忘れずに繋いでいければいいなと思います」
松井氏の代名詞でもあるドリブルは、ときに独善的なニュアンスを含むが、松井氏のドリブルはそういった要素を感じさせなかった。それはこの引退試合に集まった著名人の幅広さや、散りばめられたエンタメ要素からもうかがい知れる。いつも人を大事にし、人を楽しませたいという思いが伝わってくる。