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Jリーグ 2か月前

「いま思うと、脳をやられていました」小林悠が悩んだ日々。川崎フロンターレのためとエゴの狭間で出した答え【独占取材】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

なぜ移籍オファーを蹴って残留を決断したのか「移籍した方が、と考えた時期もあった」

「家で奥さんの前で『こんなに真面目に頑張っているのに、何でいつも俺が怪我をするのかな』と言ったら、奥さんも『何で悠くんなんだろうね』と一緒に泣いてくれて。怪我をしてもその怪我にいい食事を出してくれるとか、いろいろな面で支えてくれていただけに、申し訳ない気持ちもあって余計に苦しかったですね」

 直子さんとの二人三脚の戦いが、再び結果となって表れたのは2016シーズン。リーグ4位タイの15ゴールをあげるとともに、アシストも同2位タイの11をマーク。復活の雄叫びをあげた。

「自分のなかでいろいろと変えました。マウスピースをつけるとか水分量を調整するとか、体にいいと思えるのならもう何でもやろうと。ただ、最後の最後にちょっと……」

 2ステージ制で行われた2016シーズン。川崎はチャンピオンシップへ出場するも、初戦の準決勝で鹿島アントラーズに0-1で敗れた。怪我で欠場していた小林は、大きな決断を下している。

「当時は他のクラブからのオファーをいただいていましたけど、ピッチに自分がいない戦いをスタンドから見ていて『フロンターレで絶対にタイトルを取る』と決めて、帰り道には代理人へ電話を入れていました。金銭面を含めた条件などもあって、家族や将来を考えたら移籍した方が、と考えた時期も確かにありましたけど、自分はフロンターレが好きなんだとあらためて気がついたので」

 当時は風間監督が退任し、鬼木監督が就任するタイミングだった。川崎残留を決めた小林は、さらに別の決意を胸中に秘めていた。中村憲剛からキャプテンを引き継ぐ。チームも同じ考えだった。

「憲剛さんがオニさんにそういう話をすでにしていたみたいで、その後にオニさんからキャプテンと言われたときも『やらせてください』という感じでした。フロンターレの何かを変えなきゃいけないと思っていたし、自分がキャプテンを務めればきっとタイトルを取れる、といった変な自信もあったので」

 しかし、前半戦はキャプテンとストライカーの狭間でもがき苦しんだ。折り返し前までの15試合でわずか4ゴール。ただ、当時の取材で女性カメラマンからかけられたひと言で視界が開けた。

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