トリノの会長、ウルバーノ・カイロという男の正体
トリノの会長を務めるカイロは、1957年5月21日、ピエモンテ州アレッサンドリア県マージョの生まれだ。州都トリノが置かれる州である。
カイロは、元イタリア首相で、ミランの名誉会長を務めた今は亡きシルヴィオ・ベルルスコーニの個人秘書として働き、経済人としての礎を築いた。ベルルスコーニが創設し、イタリアで最も重要な企業の一つであるフィニンヴェストでは重役も担った。1995年には、フィニンヴェストを退職し、カイロ出版社を立ち上げる。次第に資本を拡大し、2005年にはトリノを買収。財政難に陥り、瀕死の状態にあったクラブを救済に打って出た。
カイロ自身もトリノのファンであったが、母マリアが熱狂的なサポーターとして知られ、買収するように進言したという。2016年には、『ガッゼッタ・デッロ・スポルト』やイタリアで一番の発行部数を誇る日刊紙、『コッリエーレ・デッラ・セーラ』、スペインの『マルカ』などを発行するRCSグループの株式の約60%を取得し、RCSグループの会長にも就任。今では、ベルルスコーニに代わる“新イタリアメディア王”として名を馳せる。
トリノのオーナー職に就任し、歴代オーナーの中で最長の19年の年月が過ぎるが、05/06シーズンにセリエA昇格を果たした後、08/09シーズンにはセリエBに降格。13/14と18/19シーズンの7位が19年の間の最高位だ。
宿敵ユヴェントスとのトリノダービーにおいては、カイロがオーナーに就いた05/06シーズン以降、32度の対戦(リーグ戦が30、コッパ・イタリアが2)で、6分25敗を喫し、勝利を手繰り寄せたのは、たったの1度だけだ。
2015年4月26日にホームで行われたセリエAの一戦、ジャン・ピエロ・ヴェントゥーラが指揮し、マッテオ・ダルミアンとファビオ・クアリアレッラのゴールで勝利を収めたのが唯一の白星で、あまりにも多くの苦杯を喫してきた。