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彼女たちのサッカーが「ありのままに」存在しているからこそ、この小説は書かれた。『ひとでなし』書評【ゲームの外側 第2回】

text by 陣野俊史 photo by Getty Images

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小社主催の「サッカー本大賞」では、4名の選考委員がその年に発売されたサッカー関連書(漫画をのぞく)を対象に受賞作品を選定。選考委員の一人でもあるフランス文化研究者、作家、文芸批評家の陣野俊史氏にサッカーにまつわるあれやこれやに思いを巡らせてもらう連載「ゲームの外側」第2回はもっともサッカーに詳しい小説家・星野智幸氏の最新刊『ひとでなし』(文藝春秋)について。
(文:陣野俊史)


これまで以上にサッカーが重要な役割を演じている

アメリカの女子サッカー元代表で歴史的名選手 アビー・ワンバック
【写真:Getty Images】

 星野智幸は、たぶんもっともサッカーに詳しい小説家だ。

 自身もプレーヤーであり、アルゼンチンやメキシコの代表チームのみならず、浦和レッズ、浦和レッズレディース、そして女子サッカー日本代表のサポーターでもある。

 2003年に野間文芸新人賞を受賞した『ファンタジスタ』(集英社)は女子サッカーのスター選手が政治家になって日本を変えていく、という近未来を描いた痛快なサッカー小説だった。

 星野が書く小説には、必ずといっていいほど、ボールを蹴る行為が描写されているのだが、最新作『ひとでなし』(文藝春秋)は、これまで以上にサッカーが重要な役割を演じている。
 
 なお、小説は600頁を超える大作であり、これから言及する部分は、サッカーに関わる箇所だけであることを最初にお断りしておきたい。

 主人公は鬼村樹(おにむら・いつき)。1965年、アメリカに生まれ、東京近郊の「鋸浜市」に育つ(星野の初期の小説には、実在の地名や人名は微妙にずらされていた。懐かしく思いだす)。

 まだ小学生の頃から、男子特有の、いまの言葉で言うとホモソーシャルな繋がりが、イツキは苦手だ。

 いっぽうで同級生の女子の着替えにも、美男子の股間にもドキドキしてしまう。

 つまり、イツキは自身の性に居場所のない感覚を幼少期から抱えている。

 小学校高学年になって、イツキは「セミ先生」に出会う。先生はイツキの居場所のない感じを敏感に察知して、「架空日記」を書くように勧める。

 現実に居場所がないのなら、日記にその感覚を解放して、精神のバランスをとるように助言するのだ。……と、このまま続けると、物語をなぞることになりそうなので、いったん中断。サッカーに話を絞る。

 イツキにとって重要な存在が「梢」だ。

 彼女はイツキの学友だが、類まれなサッカーの才能を持っている。

 梢はイツキを男子として遇せず、単にサッカー仲間として扱ってくれる。

 だが、梢はイツキ(イツキもサッカーがうまい存在として描かれている)と一緒に入っていたサッカー部を続けることができない。

 高校から女子バスケ部に入ってしまう(女子サッカーの部活がないという事情)。イツキは梢とプレーしたくて、女子バスケ部に入ろうとするが、断られる。

 拒否にあったのみならず、少し危ない人間として認知されてしまう。

 このあたりから、梢の存在は小説の表面からはしばらく姿を消すのだが、イツキが大学を出て右寄りの新聞社に就職したあたりから、物語の骨格を担う存在として、梢は再登場する。それも、女子サッカーの日本代表選手として。

 梢は、女子サッカーを代表する選手として名を馳せる。現役引退のあとは、コーチとしてサッカーに関わっている。

 イツキは、梢を迎え入れるための、広義の「家」を作ろうとする。梢の恋人である直子も一緒に。ちょっとそのあたりを引用する。

 梢は夏のワールドカップを前に、泊りがけの仕事が増えて、たまにしか家に戻らない。

 直子はイツキの家に住みながら、自分のことを「居そうろう」と称した。このままだと直子は仙台に帰りそうな気がした。

 直子が自分で選んでのことというより、人生の選択肢を失って引き籠もるように実家に帰るような雲行きだった。

 家族は努力しないと維持できないとイツキは理解した。それで、荒れ放題の小さな庭を楽園にすることを、直子に提案した。

 雑草を抜き、土を耕して小石を除去し、食べたい野菜と見たい花を植えて、毎日面倒を見るのだ。  
(中略)

 人間への疲れを楽園で癒していった直子は、ワールドカップまでには立ち直った。

 予定どおりセミ先生も交えて、決勝トーナメントからの日程でドイツに渡る。

 ロンドンから渡航してきたみずきとも現地で落ちあい、日本が最強のアメリカを破って優勝する瞬間に立ち会った。
(588~589頁)

 植物との交感や、日本の女子サッカー選手の活躍など、星野にしか書けない物語の展開が愉しい箇所なのだが、この小説での「女子サッカー」に関してもっとも注目すべきなのは、たぶん彼女たちの有する、性へのおおらかさであろうと思う。

 ヘテロセクシュアリティの瀰漫する社会にあって、自分たちの性の、あり得る可能性の芽を摘むことなく、梢や直子やそのほかの選手たちは動く。

 誰も息苦しく感じることのない社会の可能性を、星野は、女子サッカー選手たちの世界にうっすらと認めている。強い共感を込めて、その世界を描いている。

 
 逆に言えば、ヘテロセクシュアリティによって窒息させられた存在も数多いはずだ。

 星野は、みずから消えるようにしてこの世から退場した、そうした人間のことももちろん書いているのだが、ここでは割愛する。

 おそらく星野も読んだに違いない、あるいは梢が一緒にプレーしたに違いないアビー・ワンバック(アメリカの女子サッカー元代表で歴史的名選手)の自伝から、彼女の力強い言葉を引いておく。

 サッカーがわたしをつくったわけではない。わたしはあるがままの自分をサッカーで出したし、この先どこへ行こうと、あるがままの自分でいる。

 あなたもそうだろう。

「いったい何をしたいのだろう?」と自分に問いかけるだけではだめだ。「自分はどんなひとになりたいのだろう?」と問いかけるのだ。

 あなたがいましていることが、あなたという人間を決めるわけではない。いつだって、どういう人間かが、あなたを決めるのだ。

 わたしたちはオオカミだ。

 魔法はあなた自身のなかにある。

 力はわたしたちにある。

 その力を解き放って団結しよう。

 そして、ともに谷に嵐を起こし、ゲームを永遠に変えよう。
(アビー・ワンバック『わたしはオオカミ』、107頁)

 星野が力を込めて描いた「梢」や「セミ先生」の娘の「ぐりちゃん」(ぐりちゃんも女子サッカー選手になる)は、ワンバックの「ありのまま」を地で行く存在だ。

 星野の新刊小説『ひとでなし』は明るいばかりの小説ではない。息苦しい現実の世界と、その世界で生きていくことを余儀なくされた私たちの物語だ。

 ディストピアの予感さえ漂う。

 だが、その世界に強烈な違和を突きつけているのが、女子サッカーの世界なのである。

 彼女たちのサッカーの舞台は、たまさか小説の舞台として召喚されているのではない。

 彼女たちのサッカーが「ありのままに」存在しているからこそ、この小説は書かれた。

 女子サッカーの持つ豊かさが、この小説を傑作たらしめているのである。

(文:陣野俊史)

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陣野俊史(じんの・としふみ)
1961年生まれ、長崎県長崎市出身。フランス文化研究者、作家、文芸批評家。サッカーに関する著書に、『フットボール・エクスプロージョン!』(白水社)、『フットボール都市論』(青土社)、『サッカーと人種差別』(文春新書)、『ジダン研究』(カンゼン)、共訳書に『ジダン』(白水社)、『フーリガンの社会学』(文庫クセジュ)がある。その他のジャンルの著書に、『じゃがたら』『ヒップホップ・ジャパン』『渋さ知らズ』『フランス暴動』『ザ・ブルーハーツ』『テロルの伝説 桐山襲烈伝』『泥海』(以上、河出書房新社)、『戦争へ、文学へ』(集英社)、『魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ』(アプレミディ)など。

【了】

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