「横浜FCにいた昨年1年間が僕の…」
99年生まれのレフティは横浜FCのアカデミーで育ち、慶応義塾大学在学中の2020年にレノファ山口入りが内定。同時に特別指定選手としてチームに加わり、当時の指揮官・霜田正浩監督(現松本山雅)に才能を高く買われていた。
山口に正式加入した2023年にJ2・35試合出場2ゴールという実績を残し、3年間で大きく飛躍した男は、2023年に古巣の横浜FCへ移籍。初めてのJ1挑戦を果たしたが、わずか7試合しか出場できず、四方田修平監督に使ってもらえない日々に苦しむことになった。
「横浜FCにいた昨年1年間が僕のターニングポイント。プロになって試合に出れないとか、壁に当たったことがなかったから。降格もしましたし、本当に苦しい1年だった。
そういう中でも、自分に足りないものを自覚し、努力し、毎日コツコツと積み上げてきた自覚があったんで、それで今年徳島(ヴォルティス)に呼ばれて、夏に新潟に呼んでもらえることにつながった。多少なりともJ1でもちゃんとサッカーできるくらいにはなったのかなと思います」と本人もJ1再挑戦を果たすまでの経緯を神妙な面持ちで言う。
紆余曲折を経て、ルヴァン決勝という華やかな舞台に立ったことは大きな意味がある。そこで得た自信と経験を今回の柏戦に生かすしかない…。本人も気合を入れていたはずだ。
だが、前半の新潟は柏に押される展開を強いられた。