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セリエA 6日前

「価値はない」と言われたレテギの覚醒。「サモラーノを彷彿と…」数奇なキャリアを歩む男のストーリー【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

なぜレテギはイタリア代表入りを決めたのか?

 一方のレテギは、「その頃、リーグで得点を重ねていたから、正直なところアルゼンチン代表から声がかかるのではないかと思っていたけど、そのようなことはなかった。連絡があったのは、マンチーニ監督からだった。一瞬たりとも考えず、『Sì(はい)』と答えたよ」

 レテギは、幼少期にフィールドホッケーとサッカーの両方を並行しながらプレーしていた。その理由は、父親のカルロスがフィールドホッケーの元アルゼンチン代表選手で、男子、女子、ユース男子の監督を務め、2016年にはリオオリンピック(五輪)で男子チームを率いて、金メダルに導いた実績を誇る人物であるからだ。

 偉大なアスリートである父のDNAを受け継ぐマテオは、やがてサッカーに専念し、2つの名門、リーベル・プレートとボカ・ジュニオルスの下部組織に所属。

 19歳の時にボカでプロデビューを飾ったものの、出場機会は1試合に留まり、エストゥディアンテス、タジェレスへと期限付き移籍で渡り歩き、2022年に同じく期限付き移籍で加入したティグレで才能が開花。1シーズンに19ゴールをマークした。

 ここでの活躍が、大西洋を越えてマンチーニの元に届き、イタリア代表入りにつながった。

 レテギのようにイタリア国外生まれで、イタリアにルーツを持ち、イタリア国籍を取得してアッズーリのユニフォームを身に纏った選手は過去にもいる。いわゆる「オリウンド」と呼ばれるプレーヤーだ。

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