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サッカー選手は常にケガと隣り合わせだ。たった1つのケガでキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大ケガを負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は最高級の才能を持ちながらも、ケガに苦しむキャリアを歩んだ“ガラスの天才”を紹介する。
MF:小野伸二
【写真:Getty Images】
生年月日:1979年9月27日
日本代表成績:56試合6得点4アシスト
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「あのケガがなければ……」と聞いて、真っ先に小野伸二の名前を思い浮かべる人は多いだろう。それほど小野の才能は突出していた。
小野は幼い頃から注目され、世代別のサッカー日本代表を経験。高校卒業後に浦和レッズでプロキャリアをスタートさせると、ルーキーイヤーから先発の座を確保し、18歳でFIFAワールドカップに出場した。翌年にはFIFAワールドユース(現U-20ワールドカップ)で準優勝を果たし、大会ベストイレブンに選出された。
日本中が期待した才能に悲劇がふりかかったのは、1999年7月のシドニー五輪(シドニーオリンピック)アジア予選のフィリピン代表戦で、相手の悪質なタックルにより左膝のじん帯を断裂し、長期離脱を余儀なくされた。
リハビリを経て復帰した小野は、その後も日本代表としてワールドカップに3度出場し、オランダのフェイエノールトではUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)制覇の快挙も成し遂げた。キャリアを通じてケガの不安を抱えていたが、実力の高さは疑いようがない。
小野の才能がいかに特別だったかは、ピッチで戦った選手たちの発言からも明らかだ。かつてアヤックスに在籍していた元オランダ代表のヴェスレイ・スナイデルは、2010年にオランダ紙『Voetbal International』で「小野伸二との対戦はいつも難しかった。彼はボールを持ったときに強く、失ったあともすぐに追ってきた。すごい選手だったから、ずっと見逃すことができなかった」と語っていた。
2010年のスナイデルといえば、在籍していたインテルの3冠に貢献し、バロンドールを受賞するのではないかとも言われた時期。そんな世界トップクラスの選手からも、小野は高い評価を得ていた。
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