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怪我に狂わされた…。日本の「ガラスの天才」10人。不運…。長く苦しむも懸命に立ち上がってきた男たち

シリーズ:ガラスの天才 text by 編集部 photo by Getty Images

DF:内田篤人

内田篤人
【写真:Getty Images】

生年月日:1998年3月27日
日本代表成績:78試合2得点9アシスト

 内田篤人は、日本サッカー史上でも最高峰の右サイドバックとされるが、もしケガがなければ、さらに大きな名声を得ていたかもしれない。

 2006年に鹿島アントラーズでプロキャリアを始めた内田は、クラブ史上初の高卒ルーキーとしてJリーグ開幕戦のスタメンに抜てきされ、すぐにレギュラーの座をつかんだ。俊敏な動きと高いテクニックに加え、冷静な判断力で攻撃にも的確に参加し、多くの試合で違いを生み出し、2007年からJリーグ3連覇を達成した。

 2010年夏にシャルケに加入すると、ドイツの名門クラブでもすぐに定位置をつかんだ。2010/11シーズンはUEFAチャンピオンズリーグ(CL)でも活躍し、準々決勝では長友佑都を擁するイタリアのインテルと対戦。CL史上初の日本人対決が実現し、内田はシャルケの準決勝進出に貢献した。日本人選手のCL準決勝進出は史上初の快挙だった。

 しかし、その後ケガに苦しむことになる。2014年2月、ブンデスリーガのハノーファー戦で右ひざ裏の腱を痛めて長期離脱。FIFAワールドカップ(W杯)を控えていたため手術は回避し、保存療法を選択したが、同年7月に右ひざの前の腱、膝蓋腱の炎症を起こす。

 膝を酷使するスポーツ選手に起こるケガであることから「ジャンパー膝」とも呼ばれ、完治が難しいことが多い。内田も離脱を繰り返すようになり、2015年5月に手術に踏みきった。

 約1年半の長期離脱を経て復帰したが、かつての調子を取り戻すのに苦労した。キャリア晩年はひざをかばう代償動作からくるものなのか、筋肉系の負傷も繰り返し、32歳という若さで現役を引退した。

 ヨーロッパで活躍し、日本代表として78試合に出場した内田は、十分な実績を残したと言っていい。それでも、もしケガがなければ、どのようなキャリアを送っていたのかは気になるところだ。

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