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怪我に狂わされた…。日本の「ガラスの天才」10人。不運…。長く苦しむも懸命に立ち上がってきた男たち

シリーズ:ガラスの天才 text by 編集部 photo by Getty Images

FW:小倉隆史

元名古屋グランパスの小倉隆史
【写真:Getty Images】

生年月日:1973年7月6日
日本代表成績:5試合1得点0アシスト

 小倉隆史は、Jリーグ創設前の1991年にサッカーの強豪校・四日市中央工業高等学校で第70回全国高等学校選手権大会で優勝し、翌1992年に名古屋グランパスに加入。1993年にオランダへ留学し、エクセルシオールに加入してオランダ2部リーグで14得点を記録した。

 1994年に帰国した小倉は、Jリーグの舞台ですぐに活躍。左足から放たれる強烈なシュートから「レフティーモンスター」と称され、相手に恐れられた。さらに、テクニックにも優れ、攻撃のあらゆるタスクをこなせるセンス抜群の選手だった。

 1994年はリーグ戦23試合で5得点し、20歳でサッカー日本代表デビューを果たした。翌1995年は37試合で14得点を記録したほか、天皇杯決勝のサンフレッチェ広島戦で2得点を挙げてクラブのタイトル獲得に貢献した。

 日本サッカー界を引っ張るFWとして期待されていた小倉のキャリアが狂ったのは、1996年だった。アトランタ五輪(アトランタオリンピック)最終予選に向けた合宿中に右ひざ後十字じん帯断裂の重傷を負い離脱。日本での手術は失敗し、オランダで再手術を受けるも、復帰までに約2年を要した。

 2023年、前園真聖がメインMCを務めるYouTubeチャンネル『おじさんだけど、遊んでもいいですか?』に出演した小倉は「交通事故並みのケガなんて滅多にない。1対1でもキレキレだった。調子良い時は怖いんだろうね。体が動けたり跳べたりしちゃったのかな」と当時を回想し、「膝下がポンと抜けてたから、メンタル的に堪えた」と述懐していた。

 1998年に復帰した小倉は、Jリーグの複数クラブでプレーを続けたが、かつてのフォームを取り戻すことはできず、2006年に32歳でスパイクを脱いだ。もしあのときのケガがなければ、日本代表でもエース級の活躍が期待できる才能だっただろう。

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