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高校まで無名も…。プロ入り後に化けた日本の怪物(4)まさに努力の天才! 日本代表史上最強レベルの鉄壁

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

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当然ながらプロの世界は厳しい。若くして「天才」と称された選手でも、プロの道で順調な歩みを見せるとは限らない。ただ一方で、まったく無名だった選手がプロの世界で大きく羽を広げる例も少なくない。今回は、高校まで無名も、プロ入り後に化けた日本人選手をピックアップして紹介する。

DF:中澤佑二

中澤佑二
【写真:Getty Images】

生年月日:1978年2月25日

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 力強いディフェンスで日本のゴールを守ったDF中澤佑二は、険しく、困難な道のりを歩んでプロサッカー選手という夢を叶えた。

「努力の天才」などという簡単な言葉では表現しきれない。中澤はプロへの道を切り拓くために、無名の高校を卒業した後に単身でブラジルに渡った。言語や文化、気候など、日本とは遠く離れた異国の地で、高校を出たばかりの若者が生活することの大変さは想像に難くない。

 サッカー留学から帰国後、中澤はヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)と練習生契約を締結。自費で練習参加を続け、1999年に遂に同クラブとのプロ契約を勝ち取った。

 ここでJリーグ新人王を獲得するなど目覚ましい活躍を見せた中澤は、フィリップ・トルシエ監督率いるシドニーオリンピック(五輪)のU-23日本代表メンバーに選ばれた。

 その後の中澤のキャリアは多くの人がご存知のはずだ。2002年に横浜F・マリノスに移籍すると、守備の要として2003年、2004年のJリーグ優勝に貢献。以降、すべてをマリノスに捧げている。

 日本代表では、2006年と2010年のワールドカップ(W杯)に出場した。とりわけ南アフリカW杯では、田中マルクス闘莉王と鉄壁の守備ラインを築き、日本のベスト16進出の立役者となった。

 エリートとは程遠かった選手が、日本を代表する偉大なディフェンスリーダーへと進化を遂げた。中澤のサクセスストーリーは、プロを目指すすべてのプレイヤーに勇気と希望を与えている。

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【了】

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