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え、早すぎ!? 欧州から一瞬で帰ってきた日本人選手10人。実力があったのに…。早期帰国には様々な理由が?

text by 編集部 photo by Getty Images

MF:梅崎司

大分トリニータなどで活躍したMF梅崎司
【写真:Getty Images】

生年月日:1987年2月23日
移籍先:大分トリニータ→グルノーブル(フランス)
在籍期間:2007年1月~2007年6月

 梅崎司にとっての海外挑戦は、実質半年にも満たない期間で終焉を迎えた。

 梅崎がフランス2部リーググルノーブルに活躍の場を移したのは2007年1月、19歳の時だった。今でこそ10代で欧州クラブに移籍するのは珍しいことではなくなったが、当時は「思い切った決断」と受け止めるファンも少なくなかったはずだ。

 新天地では出場機会の確保に苦しんだ。リーグ戦の出場はわずか5試合のみで、そのうち先発したのは2試合だけ。得点もアシストも付かないまま、若武者の旅路は実質4ヶ月で終了する。完全移籍のオプションも行使されず、ローン契約期間満了を待たずに2007年6月に大分へ復帰した。

 在籍期間だけを見れば、梅崎の初の海外挑戦を「失敗」と捉える人も多いだろう。だが、実際は当時のグルノーブルで梅崎ほどのプレースピードとクイックネスを持つ選手はおらず、イヴォン・プリカン監督も19歳の日本人に特別な何かを感じ取っている節があった。

 梅崎のデビュー戦となった2007年2月16日(現地時間)の第25節・クレテイユ戦後、指揮官はクラブ公式サイトをとおして「『2点獲ってこい』と言ったんだがね(笑)」と、はぐらかしつつも満足感を示していた。

 当時の梅崎に足りなかったのは、海外で自らの実力をフルに発揮するための経験値だった。10代という若さを踏まえれば、壁に当たった時に問題を解決するための“引き出し”をあまり持っていなかったのは致し方ないことなのかもしれない。

 ただ、目に見える形の成功こそ収められなかったものの、その後のサッカー人生の糧となる時間をフランスで過ごせたのは間違いない。帰国後の梅崎はグルノーブルでの経験を活かし、大分や浦和レッズ、湘南ベルマーレでファンを魅了するプレーを披露し続けた。

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