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え、早すぎ!? 欧州から一瞬で帰ってきた日本人選手10人。実力があったのに…。早期帰国には様々な理由が?

text by 編集部 photo by Getty Images

MF:梶山陽平

FC東京などで活躍したMF梶山陽平
【写真:Getty Images】

生年月日:1985年9月24日
移籍先:FC東京→パナシナイコス(ギリシャ)
在籍期間:2013年1月~2013年6月

 広い視野と冷静な判断力、優れたパスセンスでFC東京の中盤をけん引した梶山陽平。20代後半でギリシャの名門へと加入する機会を得たが、初の海外挑戦に臨むゲームメイカーを待ち受けていたのはチーム状況の悪化というアンコントローラブルな事象だった。

 FC東京ユースで育った梶山は、2004年にトップチーム昇格。ボランチを主戦場とし、同年のJリーグ優秀新人賞を受賞するほどの目覚ましい活躍を見せた。しかし、その後は怪我に苦しむことも多かったが、“背番号10”を背負い攻守の核として奮闘し続けた。

 2013年1月には大きなチャンスが舞い込む。名門・パナシナイコスへと期限付き移籍を果たし、自身初となる海外挑戦に打って出た。この時、梶山は27歳。サッカー選手としては中堅の域に入っており、新天地ではすぐに戦力となることが期待される立場だった。

 加入当初はトップ下で先発出場を続けていた梶山。だが、当時のチームはシーズンが進むにつれて規律を欠くようになり、各選手の即興性に頼るサッカーを繰り広げていた。

 周囲との連動性でより輝きを増すタイプの梶山は、無秩序なチームに引きずられ、なかなか調子を上げられず。結局、2012/13シーズンはギリシャ・スーパーリーグで7試合に出場して1アシストという成績に終わり、加入からわずか半年後にFC東京へと復帰した。

 もしも、梶山のアイデアに共鳴できるチームメイトがいて、組織としての秩序をもたらす監督がいれば、ギリシャでの日々はもっと違う結末を迎えていたかもしれない。

 帰国後の2013年8月にはJ1下位に沈んでいた大分トリニータへ期限付き移籍して、チームの中心としてゲームをコントロールしていただけに、当時のパナシナイコスの混迷ぶりが悔やまれる。

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