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え、早すぎ!? 欧州から一瞬で帰ってきた日本人選手10人。実力があったのに…。早期帰国には様々な理由が?

text by 編集部 photo by Getty Images

MF:小笠原満男

元日本代表MF小笠原満男
【写真:Getty Images】

生年月日:1979年4月5日
移籍先:鹿島アントラーズ→メッシーナ(イタリア)
在籍期間:2006年8月~2007年6月

 長年にわたって“常勝軍団”の鹿島アントラーズを支えた小笠原満男。1998年の入団から2018年の現役引退までキャリアのほとんどを鹿島に捧げてきた男は、およそ10ヶ月間イタリアでプレーしていた時期がある。

 小笠原が海を渡ったのは2006年8月のことだった。セリエAのメッシーナにローン移籍で加入すると、同年10月21日(現地時間)の第7節・エンポリ戦で初ゴールをマーク。セリエAでの日本人選手のゴールは三浦知良、名波浩、中田英寿、中村俊輔に次ぐ5人目の記録だった。

 エンポリ戦の小笠原はゴールのみならず、創造性の高いプレーでチームの中盤をけん引。そのプレーぶりは「守備の国」イタリアでも目を引くものだった。

 だが、小笠原がイタリアで決めたゴールはエンポリ戦のものが最初で最後となってしまう。ベンチスタートが続く日々からなかなか抜け出せず、2006/07シーズンはリーグ戦6試合の出場にとどまった。

 当時、メッシーナの中盤では潰し屋タイプのカルミネ・コッポラや、豊富な運動量と前線への飛び出しが武器のダニエレ・デ・ベッツェといった“闘える”選手が重宝されていた。ブルーノ・ジョルダーノ監督はスマートな小笠原のプレーに物足りなさを感じていたのかもしれない。

 シーズン終了後、小笠原はローン期間終了に伴い鹿島に復帰した。小笠原の実力を踏まえれば消化不良の10ヶ月間だったと言えるかもしれないが、初の海外挑戦は何も悪いことばかりではなかった。

 帰国後、小笠原の守備力は飛躍的に向上。激しいデュエルを厭わないスタイルやチームメイトを鼓舞する姿勢は、明らかにイタリア時代を経て色濃くなった要素である。海外挑戦後の小笠原を思い返すと、まさに「闘将」と呼ぶべき鬼気迫る姿が目に浮かぶファンも多いだろう。

 内気かつ寡黙でどこか淡白なイメージを纏いながらプレーしていた男は、イタリアでの苦闘の日々の中で確かな進化を遂げていた。

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