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セリエA 1か月前

「限界はない」マルディーニ家はイタリア代表と共に生き続ける。ダニエルに託された3世代の夢と壮大なロマン【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

ミラン一筋、7度のセリエA優勝、5度のCL制覇

 パオロもまたチェーザレの背中を追い、赤と黒の縦縞のユニフォームを纏って、唯一無二のキャリアを築く。

 1968年6月26日、ミラノで6人兄弟のうち4番目で長男として生を享ける。パオロがサッカーを始めたのは公園や道路、それからカトリック教会に隣接するオラトーリオと呼ばれる児童施設であった。ここで日々、ルールもあってないような環境で、もちろんコーチからの指導を受けることなく、日が暮れるまでボールを追いかけ、サッカー選手として大成するための基本技術を培った。

 11人制サッカーを経験することなく、10歳の時にミラン下部組織の入団テストを受け、コーチ陣が目を見張るようなプレーを披露。その場で入団のサインを交わしたほど、すでに高い才能を備えていた。

 入団後は両サイドのウイングとしてプレーしていたが、14歳の時に左サイドバック(SB)にコンバート。ユース時代からその名は広く知れ渡り、パオロの2歳年下で、後に代表でパオロと知り合うこととなるモレーノ・トリチェッリは、当時のパオロをこう回想する。

「自分がコモのユースでプレーしていた時に、ミランのユースでプレーしているマルディーニの試合を観に行った。当時、多くの人が彼を話題にしていたが、この試合を観てその理由がわかった。たどり着くことのできない存在だと」

 名将ニルス・リードホルムが監督だった16歳の時に、1985年1月20日のウディネーゼ戦でトップチーム招集を受け、負傷したセルジオ・バティスティーニの代わりとして14番の背番号を背負ってセリエAデビューを果たした。

 そして、ミラン一筋で引退するまでにセリエAの647試合に出場。ジャンルイジ・ブッフォンの657試合には及ばず、歴代2位の出場記録であるが、一つのクラブで打ち立てた記録としては、2位のローマのフランチェスコ・トッティの619試合を勝る、堂々のトップの記録となっている。もはや打ち破られることのない不朽の功績である。

 四半世紀にも及んで在籍したミランでは、セリエAを7度制覇。チャンピオンズカップ時代を含めUEFAチャンピオンズリーグ(CL)を5度も優勝と、ミランの黄金時代を作り上げバンディエラとなった。

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