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「限界はない」マルディーニ家はイタリア代表と共に生き続ける。ダニエルに託された3世代の夢と壮大なロマン【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

パオロとダニエル、2人の名前の由来は…

 祖父のチェーザレも、パオロの代表デビューに同じような思いを抱いたはずだ。2016年4月3日に他界したチェーザレは、イタリア北部トリエステの生まれ。スロベニアに組み込まれた、異国情緒溢れる港町だ。

 実はチェーザレの父の名は、スロベニアをルーツとするパオロ、祖父の名はダニエルだ。今を生きるパオロとダニエルの2人は、先祖の名を受け継いでいる。

 1932年2月5日生まれのチェーザレは、地元の有力クラブ、トリエスティーナの下部組織からトップチームでの2年のプレーを経て、1954年にミランに移籍。ここからミランでのマルディーニ家のストーリーが始まる。

 チェーザレはミランに12年間在籍し、公式戦の412試合に出場。リーグ戦を4度制し、62/63シーズンのチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)も優勝している。ネレオ・ロッコ監督の下では、61-62シーズンから主将も務めた。まさに、マルディーニ家における元祖ミランのレジェンドだ。

 イタリア代表入りは27歳で迎えた1960年1月6日のスイス代表戦と遅かったが、14試合に出場。1960年ワールドカップ(W杯)・チリ大会の舞台にも立ち、1962年からは代表でもキャプテンを担った。

 1967年にトリノで引退した後も、指導者としてキャリアを築く。ミランでのコーチ就任を皮切りに、1972年からミランの指揮官となり、コッパ・イタリアとカップウィナーズカップのタイトルをもたらした。

 2シーズン目には解任の憂き目に遭い、その後はフォッジャ、テルナーナ、パルマを指揮。イタリア代表助監督を経て、1986年にはU21イタリア代表監督に就くと、U21欧州選手権で1992年から3大会連続優勝の偉業を成し遂げた。

 1996年にA代表監督に任命され、1998年W杯・フランス大会では、主将のパオロと共に親子鷹として優勝を目指すが、準々決勝でその大会で優勝したフランス代表とのPK戦の末に敗れ、代表監督の座を辞した。

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