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セリエA 3週間前

サッキの目に狂いはなかった。トリノ監督は「戦術家ではなく戦略家」。バノーリ監督は何が優れているのか?【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

「さあ、楽しんでサッカーをしようじゃないか」

 バノーリは、指導を受け持つユース代表の年代を徐々に上げ、2015年にはU-19イタリア代表の指揮官に就任。また、2016年8月から1年間、ジャン・ピエロ・べントゥーラが率いるイタリア代表を助監督として支えた。そして、2017年にはチェルシーを指揮していたアントニオ・コンテから声がかかり、テクニカル・コラボレーターに任命されると、インテル時代までコンテの右腕の一人として、FAカップ制覇やスクデット獲得に尽力した。

 しかし、コンテとの仕事は決して楽なものではなかった。バノーリは「最初の数か月は、メンタル的にもコンテのサッカースタイルに適応するのに苦しんだ。アシスタントコーチは常に自分の考えを言わなければならないが、性格的な理由から容易なものではなかった。私は『アントニオの助監督には決してなれないだろう』と常に思っていた。コンテには、別の性格の参謀が必要だったからだ。それでも、自分は完璧なコラボレーターだと言い聞かせて、働いていた」と回想している。

 2021年5月、インテルとの契約を解消したコンテの下を離れると、その年の12月、始めてプロクラブを指揮することが決まった。ロシアの名門、スパルタク・モスクワの監督就任だ。しかし、ロシア・カップを勝ち取ったものの、ウクライナとの開戦により、契約更新は見送られた。

 今度は、2022年11月にセリエBのベネツィアからのオファーが届く。セリエAから降格したシーズンであったが、チームは不振を極め、就任当時のチームは12試合を終えて勝ち点9のセリエC降格圏19位と低迷していた。「これ以上悪くなることはない。さあ、楽しんでサッカーをしようじゃないか」。バノーリの掛け声にチームは反応し、シーズン最後には8位まで巻き返した。プレーオフ出場権もギリギリで獲得し、惜しくも5位カリアリとの予選ラウンドでは0-1と敗れてしまったが、バノーリにとっては手応えを掴んだシーズンだった。

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