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五輪では圧巻も…。A代表で影が薄かった日本人選手(4)「谷間の世代」の希望だったが…。消えた怪物ストライカー

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

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世代別のサッカー日本代表で活躍したのち、A代表でも中心選手に成長する選手は多くいる。一方で、世代別代表で存在感を放ちながらも、A代表にうまく定着できなかった選手も枚挙に暇がない。今回は、五輪代表として期待を集めながらも、その後苦しんだ選手をピックアップして紹介する。(データは『transfermarkt』を参照)

FW:平山相太(ひらやま・そうた)

U-23日本代表の平山相太
【写真:Getty Images】

生年月日:1985年6月6日
五輪での成績:1試合0得点0アシスト(アテネ五輪)
A代表通算成績:4試合3得点1アシスト

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 平山相太は、2004年のアテネ五輪(アテネオリンピック)での出場が1試合のみ、それも途中出場だったため、五輪でインパクトを残したとは言いがたい。それでも、周囲の期待は強烈だった。

 名門・国見高等学校で全国高校サッカー選手権大会2年連続得点王という偉業を成し遂げたこの“怪物”は、高校生でアテネ五輪アジア最終予選のU-23日本代表メンバーに選ばれた。高校卒業後はJリーグのクラブに加入せず、筑波大学に進学する道を選んだことでも注目された。

 アテネ五輪では、高校の先輩・大久保嘉人のパートナーに高松大樹が選ばれたことで平山はベンチスタートとなったが、アテネ五輪のU-23日本代表は「谷間の世代」と呼ばれるほど評判が低かったこともあり、次世代のスターへの期待が高まっていた。

 平山は2005年夏にオランダのヘラクレス・アルメロでプロキャリアを始め、1年目にリーグ戦31試合に出場して8得点3アシストと上々の成績を残したが、その後は監督変更も影響して構想外となり、2006年9月にFC東京に加入。2011シーズン以降は度重なる負傷にも苦しめられ、周囲が期待したほどの活躍はできず、32歳で現役を引退した。

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【了】

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