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Jリーグ 4週間前

つい3年前まで社会人。コンサドーレ札幌、児玉潤が貫いたJリーガーへの想い。J1に辿り着くまでの茨の道とは【コラム】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

「J1・J2でプレーしたかったのが本心です」

 

 ひとつは将来的なビジョン。Jリーグ参入を目指していなかった東京武蔵野シティに対して、福山シティは明確な目標として掲げていた。もうひとつは福山シティが標榜するスタイル。児玉が自身の武器として磨き上げてきたビルドアップ能力を、存分に生かせるサッカーを志向していたからだ。

 福山シティでもアマチュア契約だった児玉は、不動産会社の事務やイタリア料理店のホール、さらに老舗温泉旅館の調理補助などで生計を立てた。迎えた2022シーズン。中国サッカーリーグへの昇格を果たした福山シティは、同年11月の全国地域サッカーチャンピオンズリーグの1次ラウンドで敗退する。

 JFLへの昇格を逃した児玉のもとへ、個人的なプレーを評価したY.S.C.C.横浜から練習参加のオファーが届いた。覚悟を決めて福山シティを退団した児玉は、千載一遇のチャンスを生かしてJリーガーになった。

 守護神として37試合に出場した昨シーズン。Y.S.C.C.横浜ともプロ契約を結んでいなかったため、日産スタジアム内にあるレストランで働きながら日々の練習、そして週末の試合へ臨んだ。契約を更新し、念願のプロになった今年1月。クラブの公式ホームページで、児玉は思いの丈をファン・サポーターへ伝えた。

「正直なことを言います。2024シーズンはJ1・J2でプレーしたかったのが本心ですし、ギリギリまで上のカテゴリーでプレーしたい気持ちがありました。しかし年が明けても正式なオファーは無く、Y.S.C.C.でプレーすることを決めました。自分の挑戦を最後まで待ってくれたクラブのために、今シーズンY.S.C.C.の選手として戦うと決めたからには、強い覚悟を持ちクラブのために、死に物狂いで全て出し尽くし戦うことを約束します。J2昇格、チームの歴史を変えるために人生を懸け戦います」(原文ママ)

 誓いを立ててから約2カ月半後。新シーズンが始まった直後の守護神の移籍を笑顔で認め、逆に背中を押してくれたY.S.C.C横浜の現場やフロントに心から感謝しながら、児玉は北の大地へ向かった。

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