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Jリーグ 4週間前

つい3年前まで社会人。コンサドーレ札幌、児玉潤が貫いたJリーガーへの想い。J1に辿り着くまでの茨の道とは【コラム】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

アマチュア契約での加入「環境なんて関係ない」

 

 夏場に大分トリニータから加入し、終盤戦は札幌のゴールマウスを守った高木駿が、開幕前日に左膝前十字じん帯断裂の重傷を負ったアクシデントに伴う緊急補強。白羽の矢を立てられた児玉は、27歳になるシーズンにJ1への個人昇格を果たした心境を、自身のインスタグラムでこう綴っている。

「この数年間プロになる為に、プロの世界で生き残る為に、そして試合に出て結果を残し這い上がる為に、人生の全てをサッカーに懸けて気が狂う程努力してきた。どん底を経験し数え切れないくらい挫折をして、地獄のような感情を何度も味わってきた。その度に再起し自分自身の可能性を信じて、目標に向かって死に物狂いで這い上がってきた。(中略)3年間で5カテゴリー上げた。でも本当にここからが勝負。環境なんて関係ないし自分の努力次第で道は切り拓ける。これからも自分らしく頑張ります」(原文ママ)

 東京ヴェルディユースでトップチーム昇格がかなわなかった児玉は、桐蔭横浜大学の卒業を前にしてもJクラブから声がかからなかった。最終学年次の公式戦出場はゼロ。レギュラーを担っていたのは、今月17日の横浜F・マリノス戦でデビューした、2歳下の川崎フロンターレの早坂勇希だった。

 プロになる夢をあきらめられなかった児玉は2020シーズンに、ジュニアとジュニアユース時代に所属した、JFLの東京武蔵野シティFCにアマチュア契約で加入する。夜間の練習が始まる直前まで、練習場近くの武蔵野給食センターに勤務し、同市内の小学校7校、約3500人分の給食を作っていた。

 しかし、JFLで4試合に出場した同シーズンのオフに、児玉は東京武蔵野シティを突如として退団。当時は広島県社会人サッカーリーグ1部を戦っていた福山シティFCへ移籍する。カテゴリーをJFLの下の地域リーグよりもさらに下となる、都道府県リーグに移した決断の背景には2つの理由があった。

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