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五輪では圧巻も…。A代表で影が薄かった日本人選手10人。誰もが順調なわけではない…。輝けなかったのは?

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

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 世代別のサッカー日本代表で活躍したのち、A代表でも中心選手に成長する選手は多くいる。一方で、世代別代表で存在感を放ちながらも、A代表にうまく定着できなかった選手も枚挙に暇がない。今回は、五輪代表として期待を集めながらも、その後苦しんだ選手をピックアップして紹介する。(データは『transfermarkt』を参照)


MF:梶山陽平(かじやま・ようへい)

北京五輪U-23日本代表の梶山陽平
【写真:Getty Images】

生年月日:1985年9月24日
五輪での成績:3試合0得点0アシスト(北京五輪)
A代表通算成績:出場なし



 2008年の北京五輪(北京オリンピック)に臨んだU-23日本代表は、グループリーグ3戦全敗という散々な成績だったものの、本田圭佑、香川真司、岡崎慎司、長友佑都、内田篤人といった、のちにA代表の中心となる選手が多くいた。その中で背番号10を付けたのが梶山陽平だった。

 FC東京の育成組織で育った梶山は、10代の頃から注目を集めた。17歳でJ1デビューを飾り、2004年にはJリーグ優秀新人賞を受賞。各世代別の日本代表を経験してきた。

 北京五輪のメンバー入りは当然とも言える結果で、グループリーグ第2戦のU-23ナイジェリア代表戦ではベンチスタートだったが、この世代の中心選手であることは間違いなかった。優秀な選手がそろったこの世代でも技術レベルが抜きんでており、ボールを預ければ失うことは滅多になく、周囲が信頼を持ってパスを出していた。そこから正確なパスを通して前線の選手を動かして多くのチャンスを演出し、U-23日本代表の攻撃を彩っていた。

 しかし、その後は足首やひざの度重なる負傷に悩まされ、A代表に招集されることはなかった。北京五輪のU-23日本代表メンバー18人で、A代表に呼ばれたことがないのは梶山だけである。この世代で最も期待されていた才能と言っても大げさではない選手がA代表入りできなかったことは、ほとんどの人が想像できなかったのではないだろうか。

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