出られなかった盟友の分も…
「すごく思うところがあった。陸と次のステージに行けなかったのは僕の中ですごく心残りで、この代表の悔しさっていうのは代表でしか晴らせない。オリンピックで一緒のピッチに立ちたかったという思いはありますけど、今回、陸が出られない悔しさは想像を絶すると思うし、自分も外れた悔しさを味わっている。だからこそ自分が恥ずかしいプレーはできない」
当時の悔しさは今も消えない。それでも悔しさを晴らすにはピッチで戦い続けるしかなかった。背番号とともに盟友の意思を背負った鈴木は、持ち前のインターセプトでピンチの芽を摘んでいた。
一方、内野は半田の離脱に伴いバックアップメンバーとして急きょ招集された。合流したのは初戦の直前だったが、そんなスクランブル起用を感じさせない頼もしい活躍を見せた。
AFC U-23 アジアカップでは副主将の1人としてチームをまとめるチームリーダーであり、ムードメーカーだった。当初は18人という枠に入ることはできなかったが、「追加で来たときから出るつもりだった」と言うように準備は整っていた。
内野が所属するドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフは、1部昇格争いの最中にいた。昇格プレーオフはPK戦へともつれ込み、7人目だった内野の失敗でデュッセルドルフの2部残留が決まった。失意の試合から約2ケ月、内野は新たなモチベーションを持ってフランスへやってきた。
大会は中2日で行われる。試合翌日は試合に出場したメンバーはリカバリーに専念し、グラウンドで練習するのは10人ほどで、できる練習も限られてくる。その翌日は試合前日になるので、先発出場が予定されているメンバー中心の戦術的な確認がメインとなる。控えメンバーは一般的に調整が難しいのだが、「腐ることなくチームのためにやれていた」と内野が言うように、彼らは試合に出る準備を整えていた。
所属クラブの事情によりバックアップメンバーから外れた佐野航大に代わって緊急招集された植中朝日は初戦の翌日に、こんなことを言っていた。